ケネス・アーノルド事件
1947年6月24日。ケネス・アーノルドは、ワシントン州のカスケード山脈上空を自家用飛行機で飛行していた。彼は、仕事の合間に墜落した海兵隊のC-46輸送機を捜索中だった。
何らかの光の反射に気付いたアーノルドがその時発見したものは、レーニア山付近の上空を、北から南へ向け、高速で飛行する9機の奇妙な物体だった。それらの物体は、尾翼、尾部の無い平たい形状で、翼があり、1つは中央にドームがある三日月型、他の8つは先端が丸く後端が尖っていたという。そして、物体の飛び方については「水面に投げたコーヒーの受皿のように、スキップしながら飛んでいた。」と彼は証言している。
アーノルドによると、その物体は彼の飛行機から20〜25マイル前方の上空を約9500フィートの高度で飛行していたという。その時の彼の試算では、物体の移動速度は時速1700マイル以上という結果が得られた( 後日の再計算では時速1200マイル以上 )。当時の飛行機にはこの速度で飛行できるものは無かったため、当初、彼は新型の兵器ではないかと考えたようだ。
この事件が新聞に載ると一気に米国の円盤ブームと目撃の洪水が起きた。この記事で記者が「Flying Saucer(空飛ぶ円盤)[1]」という造語を作り、空を飛ぶ不思議な物体は、「Flying Saucer」というひとつの文脈で語られるきっかけとなった[2]。
ここで注目すべき点は、本来は"物体の飛び方"に関して行なわれたはずの証言が、活字になった時点で「Flying Saucer」という"物体の形状"を表す名称に変化してしまったことである。円盤ブームの発端となったこの事件において、皮肉にも目撃者本人が見たものは「Flying Saucer」ではなかったのだ。
アーノルドの目測による飛行物体の高度と速度に関しては、矛盾点が指摘されている[3]。また、いくら晴天だったからといって、40km程も離れた物体の形状まできちんと見えたということは考えにくいという指摘もある[4]。
アーノルドが見た物体については鳥説や連結気球(バルーン・トレイン)説などがある。また、あまり支持されることは無いが、米軍の全翼機ではなかったかという説もある。
- [1]Flying "Disk"という呼び方は古くから存在する。1879年の『デニソン・デイリー・ニュース』紙が古い記録として知られている。
- [2]こういった意味で、この事件はUFO史では重要な事件である。そのため、6月24日は「UFOの日」となった。
- [3]山並みをジグザグに飛行していたというのに、物体が移動していたとされる区間には、物体の飛行高度に達するような標高の山が存在していない。また、低空を音速の2倍近くのスピードで飛行していたことになるのに衝撃波が発生した様子もなかった。この時の物体の速度は、物体が移動した距離と時間に基づき計算されている( レーニア山とアダムス山の50マイル間を1分42秒で移動したと証言 )。しかし、そもそも物体までの距離についての見積りが間違っていたなら、速度は大きく変わってしまうはずである。
- [4]物体までの距離見積りが正しかった場合。