プリンストン変則工学研究所 (PEAR)
プリンストン変則工学研究所(PEAR、Princeton Engineering Anomalies Research、「プリンストン大学工学部特異現象研究」と呼ばれることもある)はサイコキネシス等の超能力研究を行う研究所である。主な研究は、機械の動作に人間の思考が与える影響を調べることである。ただし、PEARのメンバーはテレキネシスやサイコキネシスといった言葉を避け、「情報の変則的な転送」とか「データ・ストリームへの情報の変則的な注入」などといった言葉を好んで使う。
1979年、ロバート・ジャン(Robert G. Jahn)によってプリンストン大学に設立された。設立資金は航空宇宙学のパイオニアであるJames McDonnellが出資した。McDonnellは航空機の機器がパイロットの精神状態に影響を受けると考えていた。PEARはそれ以来、私的な財源にのみ依存してきた。しかし、2007年2月Jahn自身により閉鎖が決定され、28年間の歴史に幕を閉じた。
PEARの主な研究成果は、様々なREG(random event generator、ランダム事象発生装置)やRNG(random number generator、乱数発生装置)の動作に対し、人間の意志がおよぼす影響を調べたが、それは非常に小さく、1万回に2、3回程度であるというものである。25年間にわたるその成果は2005年に「The PEAR Proposition」(文献21)という論文にまとめられた。
ようするにこれはミクロPK(マイクロPK)のことである。(文献12) ミクロPKとは多数の実験結果についてメタ解析を行い、統計的な処理をしないと有意な結果が得られないようなPK(サイコキネシス)のことである。これに対し、一回の実験で効果が確認できるような強力なPKを「マクロPK」と呼ぶ。現時点までの超心理学の研究で、マクロPKの確実な証拠が得られたことはなく、実在しない可能性が非常に高いと考えるのが妥当であろう。また、ミクロPKの存在も危機に瀕していると考えるべきだろう。
PEARの研究に対しては、REGの発生する乱数は完全な乱数ではないという批判や、検出される微小な効果は実験者のバイアスによるものであるという批判がある。(文献1,2) たとえば批判的な論文として、2006年の「サイコキネシスの検証:乱数発生装置と人間の意志の相互作用―メタ解析―」がある。(文献3) この論文の結論はつぎのようなものである。
このメタ解析では、人間の意志とRNGの出力に相関があるかどうかを検査した380の研究をまとめた。その結果、有意ではあるが全体として非常に小さい効果を認めた。効果の大きさはサンプル数と強い反比例の関係にあり、極めて不均一であった。小さな効果、効果の大きさとサンプル数の関係、効果の大きさの強い不均一性は、モンテカルロ・シミュレーションにより、基本的に出版バイアスの結果であろうということが明らかになった。
カール・セーガンの評価
科学者で懐疑論者でもあるカール・セーガンは自著「科学と悪霊を語る」の中(p.302)で、『これを書いている時点で、まじめに調べてみるだけの価値があると思う超能力の主張が三つある』としている。(文献7)
その3つとは、
- 頭の中で考えるだけで、コンピューターの乱数発生機構に(かろうじて)影響を及ぼすことができる。
- 感覚をいくらか遮断された人たちが、自分に「向けられた」思考やイメージを受け取ることができる。
- ときに幼児が前世のことを話し出すことがあり、調べてみると、生まれ変わりとしか考えられないほど詳しい記述である。
であるが、これらの1つめはPEARの研究、2つめはガンツフェルト実験、3つめは輪廻転生(生まれ変わり)のことを言っているのだろう。ただし、コンピューターがソフト上で発生させる乱数は疑似乱数であり、PEARの実験ではそういったものは使用されていない。PEARの実験で使用されるのは、決定論的な数学的手法を用いずに乱数を発生させる、機械的装置や光学装置、流体装置、電子装置である。特に重点的に用いられているのが白色熱雑音を利用したREG(RNG)なので、若干の情報の不正確さがセーガンにはあるようだ。
これについて、セーガンは『私がこの三つを取り上げたのは、それが正しいと思うからではなく(私はそうは思っていない)、真実だと言う「可能性がある」からだ』とも述べている。
たしかに、多くの自称超能力者がインチキだったとしても、人間の心が物質に直接影響をおよぼす可能性はゼロだとは言い切れないかもしれない。ただし、精密な電子機器が家庭用電化製品として大量に流通する現代において、パソコンや携帯電話が人間の心の影響で誤作動を起こしたという話も聞かない。よって、たとえそういうことがあったとしても、非常に微弱な効果だと考えられる。
また、物質世界と精神世界は別のものであるという考え方に立てば、精神世界を通じて、物質世界には存在しないような、心と心の繋がりがある可能性も否定できない。
超能力に否定的な懐疑論者にとっても、
- もし仮に心が物質に直接影響を及ぼすことがあるとしたら、それはどれくらい弱い効果なのだろうか?
- 物質世界を経由しない精神同士の繋がりというものは、本当に実在しないのか?
という疑問は、まじめに考える必要があるかもしれない。
ただし、輪廻転生についてのセーガンの評価には疑問が残る。なぜなら、意識というものは脳内部の神経細胞のネットワークの構造上に生じるものという現代科学の解釈を受け入れるなら、それが時空を越えて他人に移るという主張に、物理的基盤は存在しないからである。
脳組織が病気や怪我で損傷すると、意識や人格が失われるというのは歴然とした観測事実である。現時点で、非物質的な状態で個人の意識や人格が保持され、しかもそれが他人の脳に転写されると考えなければならない理由はない。
さらに言うと、言葉を教わる前にしゃべりだす赤ん坊など見たことないが、前世の記憶が実在するのなら、それも可能なはずである。言葉を教わった後に語られる前世の記憶など、その学習の過程で刷り込まれた架空の記憶だと考えるのが妥当だ。「生まれ変わりとしか考えられないほど詳しい記述である」などという言葉に騙されて、調べてみようとするのは時間の無駄だろう。
そもそも、「自分自身は正しいとは思っていない」のに、「調べてみるだけの価値がある」というのは矛盾した言い方である。「時間の無駄なんで自分で調べるつもりはないけど、事実だと思うのなら調べたい人が調べればいいんじゃないの?」と言っているにすぎない。
フィリップ・アンダーソンの評価とジャンによる反論
1977年にノーベル物理学賞を受賞したフィリップ・アンダーソン(Philip Warren Anderson)はアメリカ物理学会の会誌「Physics Today」で、超能力研究を批判する記事「On the nature of physical laws」(1990年、文献18)を書いた。ところが、実際に行われている研究をよく調べずに、保守的な批判を行ったので、ジャンに反論される結果となった。
その批判の一部を次に示す。
物理学者を名乗る一部の連中が、敏感な電子的測定、カードを混ぜる装置や跳ねまわるピンポン玉にたいして、「考えること」の効果を試す実験を真剣に行うことほど、悩ましいことはない。さらにイラつくことは、統計学的に標準偏差が少し異常を示しただけで、肯定的な結果が得られたと発表されることだ。これはもちろん物理体系の堅実さにかかわる問題だ。もしそうした結果が正しければ、国立標準技術局(National Institute of Standards and Technology)をカジノに、物理の授業は交霊会に変えねばならなくなる。さらにノーベル賞はすべて返還しなくてはならないだろう。なぜなら、高度な精度を有していると思われていた測定方法が、ユリ・ゲラーのような人物が現れればたちまち変成させられ、我々の誇る測定精度がすべて頭の中の想像のものと化してしまうからだ。
多くの物理学者は超能力の存在に否定的であるが、アンダーソンの主張はちょっと言い過ぎだと感じる者もいるだろう。もし仮に超能力が実在するのであれば、客観的な自然科学としては、その存在を取り入れて発展していくべきなのだ。ただし、こうした効果がある程度強ければ、アンダーソンの言うように、精密測定を行っている物理学者が既に発見していてもおかしくない。よってこの場合も、こうした効果がほんとうに実在したとしても、それは極めて弱いものであると予想される。
この記事に対するジャンの反論は「Physics Today」の1991年10月号に「A Question of Mind over Measurement」の一部として掲載された。(文献24) この記事でジャンはアンダーソンのことを、同じプリンストン大学の数百ヤードしか離れていないところに事務室があるのに、一度も自分らの研究室を訪れたこともなく、この件について自分と直接議論したこともなければ、論文を読んでもいないと批判している。さらに以下の3つの研究をあげ、アンダーソンの言うように「標準偏差が少し異常を示した」というレベルではなく、σ値(標準偏差)の4.4〜6.4倍の統計的にきわめて有意な結果が得られたとしている。
- ミクロな電子的ランダムバイナリ発生装置(RNGのこと)による実験
- 遠隔知覚研究(リモート・ビューイング(RV)のこと)
- マクロな機械的ランダムカスケード研究(パチンコ台のようにびっしりと並んだ釘の間をたくさんの玉が落ちていく装置を使った実験。落ちていく玉を意志の力で右や左に寄せようとする)
ジャンの反論のあとには、AT&Tのベル研究所のPaul Kolodnerなる人物が、『ノーベル賞をとるほどのアンダーソンでも実験についてはなんにもわかっていない。実験装置なんて実験者がそばにいないとまともに動くことすらないのだ。なぜなら、脳波源がそばに存在しないと、物理法則は成リ立たないのだ。距離の自乗に反比例して物理法則は成り立たなくなることが知られている。だから、多くの実験者は実験中に装置のそばから離れたがらない慎ましやかで恥ずかしがりな人たちなのだ。さらにほとんどの実験者は信仰心も厚く「ジーザス!なんでこのクソったれな装置はちっとも動かないんだ!」と叫ぶほどである』と、理論物理学者であるアンダーソンをおちょくる記事を寄せている。
ジャンの反論やKolodnerの意地悪な投稿記事で、アンダーソンがかんかんになったかどうかはわからないが、再反論を行なっている。その要旨は「(有意でない)データを破棄しているのではないか。ジャンはベイズ統計を使うべきだ」というものだった。ところが、これに対して、1992年の「More on Mind over Measurement」(文献25)で「1979年以降のすべてのデータは保管されている。ベイズ統計を我々のデータに応用したこともある」と、ジャンに再々反論されてしまう結果となった。
ジャンが反論の中で取り上げた3つの実験のうち、3番目のものに対しては懐疑論者からの批判はあまり見当たらない。これはこの実験の信憑性が高いからではなく、単に批判する必要性があまり感じられないからだろう。落ちてくる玉を心の力で左右に寄せることができると言うのなら、それこそロバート・パークが言うように、超精密天秤などでその力を実測すればいいだけのことだ。(文献26) ところがそうはいかないようで、ディーン・ラディン(Dean Radin)などは「力のような単純なメカニズムではなく、確率が変化するような現象」であると説明している。しかし、これは「アドホックな仮説」(Ad hoc hypothesis)というべきものだろう。
2番目のRV実験については、「CRITIQUE OF THE PEAR REMOTE-VIEWING EXPERIMENTS」という批判的な論文があるようだ。(文献6) その結論は「この研究は正規の科学実験に通常求められる基準から逸脱するものである。 <中略> 有意な結果として示された値は、実験や統計処理上の欠陥により、無意味なものであると結論される」といったものである。(「The strange odyssey of Brenda Dunne」(文献27)も参照) PEARの実験もジャンが言うほど完璧なものではないのかもしれない。
1番目のRNGを使った実験については、この項目でその詳細を見ていこう。
ロバート・アーリックの評価
ジョージ・メイソン大学物理学教授のロバート・アーリック(Robert Ehrlich)は自著「怪しい科学の見抜きかた」 のなかで、8つの奇妙な科学的仮説を取り上げ、それぞれに関して0〜4段階で「インチキ度」を評価している。(文献8)
この中で、PEARの研究は唯一最高のインチキ度4を獲得してしまっている。(つまり、きわめて疑わしいということ) なんと、進化論に対する最大の脅威である疑似科学「インテリジェント・デザイン」のインチキ度3よりも高得点なのだ。アーリックもアンダーソンの主張は保守的過ぎると考えているが、結果的にはアンダーソンと同様に、超能力の存在には否定的だ。ここでは、なぜアーリックがこのような評価を下したのか、その理由を見ていこう。
実験
PEARの実験に用いられるREGの一部は「Human/Machine Anomalies」で見ることができる。パチンコ台のようにびっしりと並んだ釘の間をたくさんの玉が落ちていく装置、水晶の振り子、あっちこっちに飛び跳ねるロボットカエルなども使われた。しかし、もっとも有名なのは、白色熱雑音を利用した電子的な「PEAR portable REG」を使った実験である。(似たようなものとしては、日本でも物理乱数生成USBモジュール「Random Streamer」といったものが販売されている)
この装置は1回の「試行」で0と1を200個(ビット)ランダムに発生させる。そうすると、1試行で発生する1の回数は平均で100回(全体の50%)となるが、これを人間の心の力で100以上(HI)または100以下(LO)になるように念じるのだ。もちろん何も念じない場合(BL)も対照実験として記録している。一人の被験者(オペレーター)が1時間かけて1000回の試行を行う。
PEARは12年以上の歳月と108人以上のオペレーターにより1400万回を超える試行を行った。その結果、念力により平均1万ビットにつき数回1が多くなったり少なくなったりすることがわかった。これは非常に小さな効果なのだが、統計的には極めて有意で、この結果が偶然である確率は3兆分の1であり、標準偏差の7倍の範囲を超えているそうな。これもまた極めて小さな効果から極めて大きな「確からしさ」が求まったという主張である。(これはアーヴィング・ラングミュアが指摘する「病的科学の症状」の1つに該当する)
疑惑
2重盲検になっていない
PEAR研究でまず問題になるのは、その実験に主観やバイアスが入る余地が十分あるということだろう。PEARの実験では被験者(おそらく実験者も)が結果を見ながら実験をするので、二重盲検になっていない、とアーリックは批判している。実験の最中にオペレーターはコンピューター・スクリーンを通じて実験が「うまくいっている」かどうかを見ることができるのだ。さらにオペレーターはいつも監視されているわけでもない。(邪魔されたくないと思えば、ドアを閉めて試行を行ってもいいとされていた)
こうした条件下では以下のような「ごまかし」ができるとアーリックは指摘している。
- 試行が行われた後で、試行の類別を変えてしまう。つまり、実験結果を見てから100ビット以上の1が出たらHIに、100以下ならLOに、ファイル名を書き換えてしまえばいい。
- そこまでの「ごまかし」はせずとも、オペレーターが実験が「うまくいってない」と感じた場合は実験を途中でやめて結果を放棄し、「うまくいった」と思ったもののみ記録すればいい。
もちろんこれは単なる可能性であり、実際にこのような「ごまかし」があったかどうかはわからない。当然のことだが、ジャンはこうした疑惑を否定している。しかし、アーリックは実験結果にそのようなパターンが現われていることを指摘している。実験結果の一部に、BL試行の分布の幅が異常に狭く、これにHIとLOのデータを足し合わすと、完全なガウス型分布(正規分布)になるものがある。(文献20の第2章4節「BASELINE BIND」を参照のこと) このことは、誤ってか意図的にかはわからないが、BL試行の一部がHIないしLO試行に加えられているのではないか?と疑う理由になる。
オペレーター10号は誰か
こうした試行を行う人物の中に、ジャンらは「スーパースター」(超人)は一人もいないとしているが、この微弱な効果の大部分は、長年この研究に関与してきた「オペレーター10号」と呼ばれる被験者によるところが大きい。10号の「偶然からのズレ」が標準偏差の5.4倍なのに対し、10号以外で3倍を超えている者は一人ぐらいしかいない。オペレーター10号は12年以上にわたって実験に参加し、12万回の試行を行った。10号のデータ量は、他の平均的なオペレーターの15倍にもなる。データを比べると、他の参加者に比べて10号は約33倍も顕著な効果を示した。全体のデータから10号のものを除外すると、偶然からのズレは標準偏差の約1.8倍になってしまう。
では「オペレーター10号」が特異な能力の持ち主なのだろうか?だとすれば、この人物について厳密な実験をすればいいわけだが、近代の超心理学はこういう実験をやりたがらない。なぜなら、そうした異能者について厳密な実験を行おうとすると、その人物の能力は消えうせてしまう傾向にあるのだ。
よって「オペレーター10号」は匿名のままであり、このことも懐疑派の疑念を大きくするだけである。10号は長年にわたって大量のデータをPEARに提供してきたことから、実験を熟知したジャンの共同研究者の一人であろうという疑惑も持たれている。アーリックは10号の正体は研究施設の管理責任者ブレンダ・ダンではないか?と疑っている。じっさい、アーリックがこのことをダンに質問すると、「オペレーターの匿名性を守るために」としてダンは答えることを拒否した。(ダンについては、彼女のRV実験のやり方に対する批判もある。詳細は「The strange odyssey of Brenda Dunne」(文献27)を参照。)
実際に研究にたずさわっている者には「実験が成功してほしい」という願望があるので、こうした統計的研究の被験者として参加することは不適切である。どうしても主観やバイアスが入ってしまうのだ。PEARの研究に「ごまかし」を可能とする抜け穴はなかったとは言い切れないかもしれない。
同様の批判はSkeptic's Dictionaryの「The Princeton Engineering Anomalies Research (PEAR)」の項目でも見ることができる。(文献5)
超心理学者のディーン・ラディン(Dean Radin)は自著「The Conscious Universe」(文献9)のなかで、白色熱雑音を利用したRNGの実験について「偶然の確率では50%になるはずが、各研究について計算された全体の実験効果は約51%になる」と述べている。
ところが、レイ・ハイマン(Ray Hyman)(文献10)によると、PEARの実験で実際に観測された効果は50.02%だったそうだ。(1万回に数回のレベルの効果だったら、たしかにハイマンの言う程度になるだろう) ハイマンによると、オペレーター10号は全データの23%に貢献し、その結果は50.05%だった。10号の結果を取り除くと、残りの効果は50.01%にしかならない。
John McCroneによると、10号はPEARのスタッフメンバーだったと考えられ、1400万回の試行のうち15%に貢献し、有効な結果の半分に寄与しているそうだ。(文献11) さらにMcCroneによると、「オペレーター10号の結果が全データから取り除かれると、LOの結果は偶然から予想されるものと一致し、HIの結果はp=0.05の境界まで落ち、科学的結果としては弱い有意性とみなされる」ということである。
ところがラディンは「実験の全結果に寄与した人物がいたという批判はテストされ、根拠がないということがわかった」と述べている。(文献9) どうして同じ実験なのに、結論がこんなにも違うのだろう?
統計学的な問題点
アーリックは、本当に統計学的に有意な結果ならば、データが蓄積されるほどその有意性は増加するはずなのに、PEARの実験はデータが増えるほど有意性が減っていくことを批判している。つまりオペレーター10号のように特定の実験では有意性が高いのに、全体では有意性が低くなる(全体の有意性の大部分がごく限られた特定の実験に依存している)のは統計学的にはおかしな結果なのだ。
アーリックの本ではラディンとネルソンの1959年から1987年にかけての800を越すRNG実験のメタ解析の結果が紹介されている。(文献16) 彼らは実験結果の偶然からのズレ(z値)は標準偏差の16倍になっていると主張している。(実際のグラフは15倍程度に見える) ところが初期の1959年から1965年の間にそのズレのほとんど(12z)が生じている。つまり、ほとんどの効果は初期の実験によるもので、その後の実験にはほとんど効果が現われていない。初期の実験には当時考えられていなかった欠点があったと思われるので、その効果が実験結果に現われているだけかもしれない。
アーリックの本では1987年までのメタ解析の結果しか見れないが、インターネット上で公開されている「Meta-analysis of mind-matter interaction experiments: 1959 to 2000」(文献16)の図3を見てみると、1987年から2000年にかけてのz値も掲載されている。奇妙なことに1987年から1990年にかけて、急にz値がまた6つほど上昇している。このようにある期間に行われた特定の実験のみ急激に非常に大きな有意性を示すことは、実験に一様性がないということである。
なお、アーリックの本のグラフでは最初のz値のピークが1965年ぐらいに現われているのに、ネット上のラディンの文献16では1973年に表れている。また、グラフの横軸の目盛りがどういうわけか等間隔になっていない。どちらかの図に誤植があるようだ。
また、Skeptic's Dictionary(文献5)によると、C. E. M. Hanselが1969年から1987年にかけての同様な実験を調べてみると、332個の実験のうちミクロPKを支持する結果は71個しかなかったとのこと。(文献17) ところが、ラディンが行うメタ解析ではこういった事実は平均化され消えてしまう。
こうした批判に対してラディンは「力のような単純で比例的なメカニズムによって説明することはできない」とか「われわれの理解が及ぶ限界すれすれのところを扱っている研究では、ふつうではまず起こりえないことを受け入れる心づもりがなくてはならない」などと反論しているようだが、どうも説得力に欠ける。「ふつうではまず起こりえないことを受け入れる」には「ずば抜けて決定的な証拠」がなくてはならない。多くの科学者はPEARの実験結果はまだそれほどの証拠にはなってないと考えているようだ。
スタンリー・ジェファーズの評価
Wired Visionの記事「「心が機械に影響を与える」プリンストン大学の研究(3)」(文献15)によるとジャンは「こうした現象はもっと複雑な、気まぐれとも言える、ほとんどとらえどころのない法則に従っている」とか「それでも、こうした現象はたしかに存在する」と述べているようだ。
これに対し、ヨーク大学のスタンリー・ジェファーズ(Stanley Jeffers)準教授(物理学)は「彼らの行動は矛盾している。信頼のできる科学者として、統制された条件下における特定の効果を主張し、一方で思いどおりの結果が出ないと、今度は厳密な科学的手法は当てはまらないと言い出すのだ」と述べている。(文献15)
ジェファーズはSkeptical Inquirerにも「The PEAR Proposition: Fact or Fallacy?」というPEARの研究を批判する記事(文献19)を書いている。この記事は2005年に出版された論文「The PEAR Proposition」(文献21)に対する批判である。よって、文献19と文献21の図1は基本的に同じものである。これは初期の実験のあるオペレーターの結果だそうだが、この図を見るとわかるように、HIとLO(文献19ではPK+とPK-)の差は極めて小さく、双方のガウス分布(正規分布)はほとんど重なっている。
ジェファーズはこの記事で、HIやLOの結果ではなくBLの結果に注目している。ジャンらの著書「Margins Of Reality」(文献20)の第2章4節「BASELINE BIND」では、異常を示しているのはHIやLOの結果だけではなく、BLも異常を示していることが述べられている。BLの実験を76回程度行うと、確率上そのうち7, 8回はp値が0.05以下になってもいいはずなのだが、ジャンらの実験ではp値が0.05以下な結果はゼロである。(文献20のp.117図II-11参照) ガウス分布の両端が削られているような実験結果になっている。
ジャンらはこの結果はオペレーターが「よいBLが得られるように」と意識的か無意識かはわからないが、念じてしまったためにRNGに影響を与えたためだとしている。さらにBLとHIとLOの結果を足し合わせると、確率論的に予想されるとおりのガウス分布になると報告している。ジャンらの解釈によるとこの結果は、まるで「マクスウェルの悪魔」のように、ガウス分布の中からオペレーターがほしい結果を選択して、(ごまかしではなく)意志の力のみでHIとLOの結果を抽出しているということになる。
ところが懐疑論者はそう解釈しない。確率論から予想されるよりもガウス分布が狭くなる「異常に正確な結果」は、上述したような「ごまかし」を示唆するものなのである。アーリックは、誤ってか意図的にかはわからないが、BL試行の一部がHIないしLO試行に加えられているのではないか?と疑っている。
さらにPEAR研究の総合的な結果を見ると、ジャンらの主張に一貫性がないことがわかる。「The PEAR Proposition」(文献21)の最終的な結果(図4、91人のオペレーターによる250万回の実験結果)を見てみると、平均値であるはずのBLの結果が、統計的異常の指標であるp値=0.05に達していることがわかる。「BASELINE BIND」で論じられていた結論はどこにいってしまったのだろう? そもそも、この結果はPEARのRNGは信頼できる乱数発生装置であるという前提に反している。
統計的な理論値ではなく、実験に基づくBLの結果を中心にすると、HIの結果にはそれほどの異常はなく、LOの結果のみ大きな異常を示すという結論になる。ジャンらはこの非対称性についてどのような説明をするのであろうか?
また、ジェファーズ自身も、この分野における実験を他のグループと共同で何度か行なってみたが、再現性はなかった。(文献22) PEARの論文(文献23)でも、ドイツの2つのグループが3度再現を試みたが成功しなかったことが報告されている。PEARの実験は再現がなかなか難しいのだ。
ジェファーズの結論は次のようなものである。
PEARの25年間にわたる最高の努力にもかかわらず、彼らが本流科学に与えたインパクトはごくわずかなものである。PEARグループは、これは本流科学の偏見に満ちた視野の狭い考え方が原因だと主張するかもしれない。しかし、その原因は納得のいく証拠の欠如であると私は考える。
結論
PEARが2007年に閉鎖される際に、Nature誌に「間違った問いを発した研究所」と題する記事が掲載された。(文献1) この記事ではPEAR閉鎖に関連して「標準的な理論的枠組みに収まらない研究について、もしその方法論が科学的であれば、科学はどれだけ寛容であるべきか?」という問題を提起している。
メリーランド大学の物理学者ロバート・パーク(Robert L. Park)のような「強い懐疑派」は、そういった研究は時間の無駄であるだけでなく非科学的だと考えている。なぜなら、その効果について物理的な説明がなされたことは今まで一度もないからだ。パークの主張によると、PEARのしてきたことはプリンストン大学だけでなく、さらに大きなコミュニティの評判を落としめる危険性があった。こうした研究所の存在は、新しい疑問に対する科学のオープンさの不幸な副作用だとパークは考えている。
ところが、ロンドン大学ゴールドスミス校の懐疑論者であり「変則的心理学者」のクリス・フレンチ(Chris French)は、超心理学分野は本流科学から不公平な評価を受けていると考えている。彼によると、本当の現象が発見される可能性は低いものの、肯定的な結果の兆候は非常に興味深く、ジャンの研究などは継続される価値があるものだとしている。
これらの意見の中庸な立場をとるプリンストン大学の物理学者ウィリアム・ハッパー(William Happer)は、どんなに可能性が低くても、そうした研究に対して科学界はオープンであるべきだと考えている。しかし、ある程度の時間をかけて研究を行った後、決定的な結果が得られなかったなら諦めるべきだとしている。「なぜこれが人の一生分の時間がかかってしまったのかわからない」と彼は述べている。
参考文献
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