マンテル大尉事件
1948年1月7日、ケンタッキー州ゴッドマン空軍基地に円盤状の飛行物体の情報が寄せられた。基地の将校達も飛行物体を目撃した。
訓練飛行を終え帰還途中だったトーマス・F・マンテル大尉は、基地の要請に従い、F51マスタングで物体を追跡することになる。
マンテルは「物体は依然正面上方にあり、本機とほぼ同じ速度で上昇中。」との通信を最後に連絡が途絶えた。約1時間後に墜落したマンテルの飛行機の残骸が発見される。
マンテルが追っていた物体は、当初「金星」だとされていたが、後に「スカイフック気球」であったことが判明する。
金星説は明らかな間違いとして記述される事が多いが、この事件の中でなされた多数のUFO目撃の中には、確かに「金星」だと思われる報告もあった。
スカイフックは海軍のプロジェクトであり、空軍は実験の情報を掴んでいなかった。
マンテルはUFOの最初の犠牲者として歴史に残ることになった。
参考文献
- 「マンテル大尉機墜落事件」UFO事件簿
- 「マンテル大尉事件」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 「Mantell UFO incident」 From Wikipedia, the free encyclopedia