ユナイテッド航空93便の墜落 (911陰謀論)
ユナイテッド航空93便(United Airlines Flight 93)の墜落に関しても、ペンタゴンに突入したアメリカン航空77便と同様、墜落時の画像がほとんどないため、同機はミサイルにより撃墜されたなどと陰謀論者は主張している。しかし、撃墜を目撃した者などいない。
乗客が地上の家族とGTE airphoneや携帯電話などで連絡を取ったことも、陰謀論者は捏造だとしている。しかし、93便のボイスレコーダー(文献3)とフライトレコーダー(文献4)は回収されており、ハイジャック時に同機内で起こったことはかなり詳しくわかっている。乗客らの電話の会話内容とボイスレコーダーの内容にも矛盾はない。(文献5)
乗客37人を乗せてユナイテッド航空93便は、ニュージャージー州のニューアーク国際空港(Newark Liberty International Airport)を朝8時に出発予定だった。(離陸はその約15分後の予定) しかし、滑走路の混雑のため出発が25分以上遅れて8時42分に離陸したが、これはユナイテッド航空11便がWTCのノースタワーに突入するわずか4分前のことであった。離陸から46分後の9時28分ごろに93便はハイジャックされたが、他の3機は、離陸後30分以内にハイジャックされている。こうした遅延のせいで、乗客は電話連絡により同時多発テロの発生を知る機会を得た。さらにテロリストも4人しかいなかったことが、乗客に反撃を決断させた要因だと考えられている。
ハイジャックが始まった9時28分ごろ、93便は高度約1万メートルを飛行中だったが、200メートル以上急降下した。その直後にコクピットからの「メーデー」(国際救難信号)の送信があり、争う音も聞こえた。35秒後にはキャプテンもしくは副操縦士が「ここから出て行け!」と叫んでいるのが聞こえた。
このころ、すでに乗客のトーマス・バーネット・ジュニア(Thomas Edward Burnett Jr.)は家族に電話をかけている。(文献11) その中でバーネット氏は男性乗客が一人ナイフで刺されたと証言している。おそらく、この刺された男性とはマーク・ローゼンバーグ(Mark Rothenberg)だったと考えられている。ファーストクラスの乗客で電話をかけてこなかったのは彼だけだった。
9時32分には、テロリストの一人が「みなさん、こちらはキャプテンです。座ったままでいてください。我々は爆弾を所持しています。だから座っていろ」といったことを機内放送しようとした。しかし、無線とインターコムの使い方がよくわからなかったようで、この発言は機内放送されずに無線で送信されてしまっている。
コクピット内にはおそらくフライトアテンダントと思われる女性が人質に取られており、テロリストの一人と争っている様子がボイスレコーダーに残っている。「私を傷つけないで」「死にたくない」といった声が録音されているが、その後、彼女は静かになり、テロリストに殺された可能性がある。
乗客はGTE airphoneや携帯電話を使って家族や友人と連絡を取り合った。その結果、2機の旅客機がWTCに突入したことを知り、93便も自爆攻撃に利用される可能性があることを知る。また、乗客からの情報としては、テロリストは赤いバンダナを巻き、ナイフで武装していた。乗客は機体のうしろに集められていた。キャプテンと副操縦士と思われる2人の人物がナイフでさされ、床の上に倒れていた。フライトアテンダントが殺されたという情報もあった。
乗客らは、旅客機を取り戻すためにテロリストに対して反撃するかどうか多数決を取ったようだ。乗客のジェレミー・グリック(Jeremy Glick)は妻のリズベスへの電話で、みんなで決を採っていると述べている。その結果、彼らは反撃を決断する。9時57分に乗客らの反撃が始まった。客室乗務員のサンドラ・ブラッドショー(Sandra Bradshaw)から夫への最後の連絡は、「みんなファーストクラスに向かって走ってる。私も行くわ、バイ」であった。
ボイスレコーダーにもコクピットのドアの外で争う音が録音されており、93便を操縦していたテロリストのジアド・ジャラ(Ziad Jarrah)は、乗客をなぎ倒すために、飛行機を左右に揺さぶりはじめる。9時58分57秒にJarrahはもう一人のテロリストにドアを抑えるよう指示する。しかし、乗客の反撃を止めることはできず、9時59分52秒に今度はJarrahは飛行機を上下に揺さぶりはじめる。
このころ、ペンシルベニア州ボズウェル(Boswell)の小さな町で、Rodney PetersonとBrandon Leventryは、高度約600メートルの低空を飛ぶ旅客機を目撃している。その旅客機は翼を左右に大きく傾ける不審な動きをしたのち、南に向って飛んでいった。「乗客たちがハイジャック犯と戦っていたとしたら、まさにここの上空で蜂起したと明言できるね」とPeterson氏はのちに語っている。(文献11)
10時0分8秒にJarrahは「これで終わりか?ここで終わりにするか?」といったようなことを言う。もう一人のテロリストがこれに応えて「いや、まだだ。やつらが全員で来たら、終わりにしよう」と言う。争う音はさらに続き、Jarrahはさらに機体を上下に揺する。10時0分26秒には乗客の一人が「コクピットに入れ!でなければ、みんな死ぬぞ!」と叫ぶのが聞こえる。その16秒後に乗客が「Roll it!」と叫ぶのが聞こえ、10時1分0秒にJarrahが「アラーは偉大なり!」と唱えはじめる。そしてJarrahはまた「これで終わりか?落とすか?」と言い、別のテロリストが「そうだ、落とせ、落としちまえ」と応えている。
テロリストが「アラーは偉大なり!」と叫び、乗客の反撃の音が続く中、10時03分ごろ、時速約930キロで、93便はペンシルバニア州南西部のシャンクスヴィル(Shanksville)に墜落してしまった。(文献2)
YouTubeの「Flight 93 Witnesses」で、93便の墜落を目撃した人たちの証言を見ることができる。ミサイルに撃墜されたと証言している人はいない。一人目の女性は、エンジンの音を聞いたと言っている。そして80〜90°の角度で飛行機が落ちていくのを見た。その次に見たのは巨大な火の玉と煙だった。3人目のヘルメットをかぶった髭の男性は、空から音がしたので見上げると、完全にさかさまになった飛行機が丘の上を飛んでいくのを見たと証言している。垂直尾翼が下を向いており、45°以上、ほとんど90°近くの角度で急降下していくのを見た。そして次の瞬間、地平線から巨大な火の玉が40〜50フィートの高さに上がった。
目撃者の証言については「United Airlines Flight 93 - Witnesses」も参照。文献11によると、93便が地面に激突する瞬間を目撃したのは、Lee Purbaughだけだったそうだ。崖の上にあるスクラップ処理会社で作業をしていると、彼の上空9〜15メートルのところを93便は飛んでいった。あまりに地面に近かったため、下に広がる小麦畑が機体に写って、小麦色に見えた。
93便の墜落現場には現在一時的なメモリアル(Flight 93 National Memorial)が建っている。恒久的なメモリアルは2011年に完成の予定。
関連リンク
デバンキング情報に関しては、以下のページを参照してください。
- 「911Myths... Reading between the lies」
- 「Flight 93」
- 「Flight 93 Photos」 93便の残骸と墜落現場の写真が見れる。Zacarias Moussaoui容疑者の裁判の際、証拠として公開されたもの。
- 「The 9/11 Calls Weren't Real」
- 「Calls Faked」
- 「Flight 93」 「9/11 Guide」
- 「Debunk 911 Myths」
- 「United Airlines Flight 93」 墜落の目撃証言についてはここを参照。
- 「United Airlines Flight 93 - Phone calls」
- 「Flight 93」 「Popular Mechanics」
- Mark Robertsのサイト
93便は撃墜されてはいない
93便は米空軍に撃墜されたのではないか?という疑惑は、2004年9月放送の「ビートたけしのこんなはずでは!!、9.11 テロ 4年目の真実」(テレビ朝日系列)でも取り上げられている。(文献6) しかし、実際に撃墜されたという証拠はない。
近くを飛んでいた「白いジェット機」
93便の墜落直後、現場付近では少なくとも6人が「謎の白いジェット機」を目撃している。しかし、その正体は「VF Corporation」というアパレル会社の所有する ダッソー・ファルコン20のビジネス・ジェットだったということがわかっている。このジェット機はシャンクスヴィルの北32キロにあるJohnstown-Cambria空港に着陸しようとしていたところだったが、連邦航空局(FAA)のクリーブランド・センターが、そのパイロットに93便の捜査を無線で依頼した。ジェット機は地上約460メートルまで降下して墜落現場付近を旋回した。煙の出ている穴を発見し、その位置を正確に測るため、その上を飛び越えた。
墜落現場の近くにいた唯一の軍用機は、国家警備隊の非武装C-130H貨物機だけで、この機のパイロットは墜落現場から立ち上る黒煙を目撃している。この貨物機はペンタゴンに77便が突入したのを目撃した貨物機と同一のものであり、ミネソタに戻る途中だった。
2004年9月放送の「ビートたけしのこんなはずでは!!」では、F-16戦闘機の目撃証言もあったとしている。ところが、十数人いるとされる目撃者のうち誰一人も取材には応じなかった。その取材拒否の理由として、カナダ在住で元アメリカ海軍兵士のジャーナリストを名乗る人物が登場し、「FBIが口止めしている」と証言している。しかし、FBIには目撃者に口止めを強要する権限が本当にあるのだろうか?この番組以外でこうした話は聞いたことがないので、そんな目撃者は本当はいないのかもしれない。
93便を撃墜したとされるパイロット
2004年2月、Alex Jonesのラジオのトークショーに登場した元アメリカ陸軍大佐を名乗るグランプレ(Donn de Grand-Pre)氏は「ノースダコタの防空隊によって(93便は)撃墜された。93便を撃ち落としたパイロットを知っている」と証言した。グランプレ氏によると「9時58分ちょうどに、Rick Gibney少佐が2発のサイドワインダーを発射し、空中で破壊した」とのこと。
その日の朝、Gibney中佐(少佐ではなかった)は実際に(非武装の)F-16を飛ばしていたが、10時45分にノースダコタ州ファーゴを飛び立ち、モンタナ州のボーズマンに向かっていた。ファーゴはシャンクスビルから1100マイル(約1770キロ)離れているので、その前に93便を撃ち落とすのは不可能である。
その飛行の目的は、モンタナ州ビッグスカイで開催されていた会合に出席していたニューヨーク州危機管理局のEdward Jacoby Jr氏をニューヨークに連れ帰ることであった。 Jacoby 氏は帰還後、1万7千人の救急隊を編成して911テロの救助活動にあたらせた。
Gibney中佐はJacoby 氏をニューヨークまで連れ帰った功績が認められ、その後表彰されている。ところが、陰謀論者はこの話をもとに「Gibney中佐の表彰理由が明らかにされていない。これは彼が密かに93便を撃墜したからではないか?」といったような話を作り上げている。(文献1,7)
どうやらグランプレ氏の証言はデタラメのようであるが、「ビートたけしのこんなはずでは!!」ではそのまま放送されている。
広範囲に飛散していたのは紙や布などの軽い破片
「ビートたけしのこんなはずでは!!」では、航空機事故を検証している元全日空パイロットの石橋明氏が登場し、通常の航空機墜落事故の場合、残骸は一か所に集中し、広範囲に広がることはない。しかし、飛行機が接地する前に破壊されれば、広範囲に飛散することは考えられるとしている。番組によると、墜落現場から直線距離で約13kmも離れているニューバルチモアでは、芝生の上にたくさんの紙屑が落ちていた。
93便の破片はそんな遠くまで広がっていたのであろうか?
実際に遠くまで飛散していたのは紙や布などの軽いもので、飛行機の重い部品は一か所に集中していた。乗客の遺体は墜落現場の約0.28平方キロメートルの範囲で見つかっている。エンジンのファンが墜落地点から93便の飛行方向だった南に約270メートル離れた貯水池の底から見つかった。しかし、飛行機事故の専門家であるMichael K. Hynes氏は、「エンジンが地面の上を転がったりして移動するのは不自然ではない」としている。(文献9) 時速800キロ(秒速約220メートル)以上の高速度で地面に激突すれば、破片が300メートル程度飛び散ってもおかしくはない。93便は南南東の方角に時速約930キロの高速で地面と激突したので、機体は粉砕され、細かい破片は地下9メートルの深さまで達した。
紙や小さな薄い金属片は、2.4キロ離れたインディアンレイクでも見つかっている。13km離れたニューバルチモアにはたくさんの紙屑が落ちてきた。墜落の際に吹き上げられた軽い破片がその後、この程度の距離を風で運ばれていてもおかしくない。93便がミサイルで撃墜されて空中分解していれば、もっと重たい破片が広範囲に広がっていただろう。その日、風はインディアンレイク湖とニューバルチモアの方角に時速約17キロで吹いていた。
フライトレコーダー(文献4)によると、93便はインディアンレイクやニューバルチモアの上空を飛行していない。地図を見ればわかることだが、ニューバルチモアは墜落地点からワシントンDCの方角にある。
FBIの証拠品収集チームの責任者ボブ・クレイグ(Bob Craig)氏によると、墜落前の飛行経路下で93便の破片は見つかっていない。撃墜されていれば、当然飛行経路下にも破片が落ちているはずだ。この地域では狩猟が盛んで10月には狩猟シーズンが始まる。ハンター達によって93便の残骸が発見されてもおかしくなかったが、何も見つかっていない。93便の墜落で生じたクレーターの両側には主翼が当たった痕跡があり、裏返しになった尾翼が地面をえぐった後も残っていた。(文献11)
93便からの電話
多くの陰謀論者は93便からの携帯電話の通話は不可能とし、「ビートたけしのこんなはずでは!!」でも、通話は音声合成技術によって作られた捏造の可能性があるとしている。しかし、旅客機からの通話が不可能だと言うのなら、なぜわざわざ不可能なはずの通話を捏造する必要があるのか?
旅客機を撃墜した後になって、あわててその事実を隠蔽しようとしても、そのような偽装工作は不可能だ。電話連絡を捏造する準備まで事前にしておいてから、93便を撃墜しなくてはならない。ある人の音声を合成するには、その人物の音声のサンプルがなくてはならない。会話の内容についても、プライベートな情報がなければ不自然なものになってしまうだろう。
Popular Mechanicsが携帯電話の専門家に取材したところ、93便からの通話は困難だが可能だろうという意見を得た。(文献1) 高度1万メートルからの通話は、頻繁に切断することになるだろうが可能であり、不可能になるのは1万5千メートルぐらいからとのこと。93便の高度は最高でも約1万2千メートルであった。航空機は高速で移動するので、携帯の中継基地も頻繁に入れ替わることになり、これがシステムに混乱をきたす可能性がある。しかし、都市部に比べて人口密度の低い地域では中継基地の数も少ないので、それほど頻繁に入れ替わることもない。
33人の乗客のうち少なくとも10人と、乗員2人が地上と連絡を取った。そのうちの多くは機内据付の航空電話(GTE airphone)だったようだ。「Debunk 911 Myths」の「United Airlines Flight 93 - Phone calls」にかけられた通話の時刻と内容がまとめられている。これによると、携帯電話による通話は、Edward FeltとCeeCee Lylesによる2回で、どちらも墜落直前の9時58分、高度は約1500m(5,000フィート)のときのものだった。(その後、飛行機は10,000フィートまで急上昇している) Lyles氏は9時47分57秒から56秒間にわたる通話をGTE airphoneからもかけている。1回目の通話は留守番電話にメッセージの録音を残しただけだったが、2回目には夫と会話をかわしている。
他にも連絡を取ろうとした者がいたと考えられるが、おそらく通じなかったのだろう。どの通話も短く、1分以内に切れることも少なくなかった。文献11によると、アンドリュー・ガルシア(Andrew Garcia)からかかってきて電話は「ドロシー」と妻の名を呼ぶ一言だけで切れている。ただし、Moussaoui容疑者裁判の際に提出された資料にはこの通話は載っていない。(この件については下を参照) Mark Robertsのサイトで通話記録の表(直リン)が公開されている。この表を見ても、数秒しか続かなかった通話(Call Duration)が多数あることがわかる。
携帯からの通話数
Zacarias Moussaoui容疑者裁判の際、捜査当局により公開された記録によると、携帯電話からの通話は、全37本のうち2本(Edward FeltとCeeCee Lyles)だけだった。(文献12) 「ビートたけしのこんなはずでは!!」では「通話記録は一切残っていない」とされているが、こうして裁判に提出された記録もあり、これが一番信頼性の高いものだと考えられる。
しかし、その他の文献では携帯からの電話はもっと多いとしているものもあり、これを根拠に陰謀説支持派は、FBIは意図的に携帯電話からの通話数を減らそうとしている、と主張している。携帯からの通話は13本もあったと主張する陰謀説肯定派サイトもある。(文献13) 映画にもなった「ユナイテッド93」(文献11)で、携帯電話によるとされているのは以下の通話である。
- アンドリュー・ガルシア(Andrew Garcia)からの電話は「ドロシー」と妻の名を呼ぶ一言だけで切れている。(この通話は文献11には携帯だと明記されてはいないが、FBIの裁判資料にも掲載されていない)
- トーマス・バーネット・ジュニア(Thomas Edward Burnett Jr.)から家族にかかってきた電話は、二日前にスポーツショップでなくしかけた携帯からかかってきたものとされている。また、かかってきた時刻も文献11では9時27分、裁判資料では9時30分と若干のずれがある。
- マリオン・ブリトン(Marion Britton)は借りた携帯でクイーンズ区の整備工場オーナー、フレッド・フュマーノ(Fred Fiumano)氏に「墜落するわ」と告げたとされている。
- エリザベス・ワイニオ(Elizabeth Wainio)からの電話は、隣の席の「とても親切な人」(おそらくローレン・グランドコラス(Lauren Grandcolas))が、家族に電話しなさいと言って貸してくれた携帯からだったとされている。しかし、エリザベスの継母エスター・ハイマン(Esther Heymann)は2006年2月18日CNNの「LARRY KING LIVE」(Stories of Flight 93)に登場したとき、「彼女(エリザベス)は携帯電話を持っていたけど、実際には座席の後ろに付いていたエアフォンを使った」と述べている。
バーネット氏については、911myths.comの「Tom Burnett」も参照。バーネット氏の妻Deenaによると、電話は3〜5回ぐらいあり、最終的には4回あったことになっている。その会話の内容は「Transcript of Tom’s last calls to Deena」で読むことができる。彼女によると、そのうち3回はCallerIDが表示されたので、携帯からの通話だったと思ったそうだ。
彼女は911委員会とFBIに対しても、そのように証言している。FBIでの証言についてはこちら(pdf)を参照。ところが、FBIの最終的な結論では、航空機電話から3本の通話しか確認できなかった。よって、この矛盾も電話捏造の根拠とされている。しかし、911委員会の記録「MEMORANDUM FOR THE RECORD」でも、バーネット氏からの通話は携帯の通話料金請求書には含まれていないとのこと。また、Moussaoui容疑者の裁判記録によると、FBIのRay Guidetti刑事部長は「誰からの電話だったのか?」という質問に対して次のように答えている。
はい、それはトーマス・バーネット氏についての記録です。エアフォンの記録によると、バーネット氏は24ABC列と25ABC列から3回電話をかけています。しかし、トーマスの妻ディーナは、彼女に携帯からかかって来た通話が他にもあったかもしれないと証言しています。
つまり、FBIは携帯からの電話があった可能性を否定しているわけではない。旅客機からの通話は通常の携帯電話では想定されていない。高高度を高速で移動する飛行機から電話をかけると、たとえ通じたとしても、その中継局が飛行機の移動とともに頻繁に入れ替わるため、システムが混乱するか、すぐ切れる可能性もある。そのため、正しい記録が残らず料金請求書に通話が現れなかったとも考えられるのだ。いずれにせよ、ディーナは夫トーマスからの電話をニセモノだったと証言したことはない。
マーク・ビンガムからの電話
乗客の一人、マーク・ビンガム(Mark Bingham)は母親に電話し、「ママ、マーク・ビンガムだよ!」と名乗った。Bingham氏の母親(Alice Hoglan)はその声は息子のものだったと証言したが、陰謀論者は、息子が母親に向かって「Mark Bingham」と姓名を名乗るのはおかしい、と主張している。ところが、この疑問に関してはBingham氏の母親自身が答えている。
彼女自身がディスカバリーチャンネルの「The Flight That Fought Back」というドキュメンタリー番組で証言している様子を、YouTubeの「9/11 Debunked」シリーズの「Cell Phone Calls not Faked」で見ることができる。その証言によると、若いビジネスマンだったBingham氏は、電話で時々「Mark Binghamです」と自分の母親に名乗ったらしい。ハイジャック機内において、Bingham氏は強く冷静を保とうとして、厳格に事務的に「ママ、マーク・ビンガムだよ!」と名乗ったとのこと。
リンダ・グロンランドからの電話
「What Happened on Flight 93?」(MSNBC September 3, 2002)によると、リンダ・グロンランド(Linda Gronlund)は妹のElsa Strongに電話をかけ、自分の遺書が金庫の中にあることを伝えた。金庫はクローゼットの中にあり、金庫の番号も伝えている。電話が捏造だとすると、どうやってこうした個人的な情報を得たのだろう?
搭乗予定について
文献11によると、乗客のうち少なくとも15人は初めから93便に乗る予定ではなかった。ぎりぎりになって出張が決まったり、別の便から変更してきた人もいる。こうした人達からかかってきた電話も捏造なのだろうか?
- Jeremy Glickは一日前の93便に搭乗予定だったが、渋滞のせいで月曜の搭乗に遅れてしまった。(文献14) Glick氏は電話で妻に乗客が多数決をとっていることを告げている。その結果、コクピットのハイジャック犯を制圧することになった。Glick氏は「朝食に出たバターナイフでハイジャック犯と対決するのさ」とジョークを飛ばしたとのこと。
- Lauren Grandcolasはニュージャージー州で祖母の葬式から帰るところだった。彼女は9時20分離陸の91便に乗る予定だったが、早く家に帰るため空港で93便に乗り換えた。(文献14) 彼女は8回にわたって電話をかけようとしたことが記録されており、文献11によると、夫の留守番電話に「機内でちょっとした問題が起きている」といった伝言を残している。
- マーク・ビンガム(Mark Bingham)も「Bound by fate, determination」(文献16)によると、月曜日にサンフランシスコまで飛ぶ予定だったが、マンハッタンのルームメイトの30歳の誕生祝いから十分回復していなかったので、飛行を火曜日の朝まで延期したとのこと。ビンガム氏はカルフォルニア州サラトガのボーン・ホーグラン家に何度か電話連絡を試み、そのうちの一回では母親のアリス・ホーグラン(Alice Hoglan)とその妹のキャシーらと3分近く会話している。
- トーマス・バーネット・ジュニア(Thomas Edward Burnett Jr.)も文献16によると、デルタ航空でその日の午後に家で待つ妻のディーナ(Deena)と3人の娘のもとに帰る予定だったが、93便に乗り換えている。バーネット氏は妻に数回電話している。
他の飛行機からの通話
乗客からの電話があったのは93便だけではない。それ以外の飛行機からも通話があったが、陰謀論者はこれらについてもいろいろとクレームをつけて、どれも捏造されたものだとしている。しかし、もしそうだとすると、ずいぶん大規模な通話捏造工作部隊がいたことになるが、そんなものが存在した証拠は一切ない。
各旅客機内の乗員乗客とハイジャック犯の座席の位置、および通話についてはZacarias Moussaouiの裁判における資料Prosecution Trial Exhibitsの「P200018」を参照。
「9/11 Commission Report」(文献2)を参考に93便以外の機からの通話をリストすると以下のようになる。
- アメリカン航空11便:11便のハイジャックは8時14分ごろに始まったと考えられているが、その約5分後には客室乗務員のBetty OngがAT&T航空電話でアメリカン航空南東部予約オフィスに連絡を入れている。彼女とオフィスのNydia Gonzalezとの会話は約23分間続いたが、そのうち初めの4分半ほどが録音されて残っている。その内容はネット上のいろいろなところで聞くことができる。たとえば、「The Memory Hole」の「Betty Ong's Call from 9/11 Flight 11」などを参照。8時25分ごろにはもう一人の乗務員Madeline “Amy” Sweeneyからもボストンのサービスオフィスに何回か航空電話による連絡が入っている。彼女の電話を受けたのは、マネージャーのMichael Woodward氏だった。8時44分ごろの会話で、Woodward氏が窓の外を見るように助言すると、彼女は「我々は低く飛んでいます。とてもとても低いわ。低すぎる」と言い、その後「オーマイゴッド、いくらなんでも低すぎるわ」と言ったが、これが彼女との最後の通話になった。そして8時46分、11便はWTC1に突入した。
- ユナイテッド航空175便:8時52分ごろ、乗客のPeter Hansonが父親のLee Hansonに電話をかけている。同じころ、男性乗務員の一人がユナイテッド航空サンフランシスコオフィスに連絡を入れている。8時59分には乗客のBrian David Sweeneyが自宅の留守番電話にメッセージを残している。その後、Sweeney氏は母親のLouise Sweeneyにも電話している。9時00分ごろ、Lee Hanson氏は息子のPeterから2度目の電話を受けている。電話は突然切れ、Hanson氏は女性が悲鳴をあげるのを聞いた。その後、9時03分に175便はWTC2に突入した。
- アメリカン航空77便:9時12分、Renee Mayが母親のNancy Mayに電話をかけている。9時16分〜26分のあいだのある時点に、Barbara Olsonが司法省訟務長官である夫、Ted Olsonに電話をかけている。2度目の会話で夫はBarbaraにツインタワーへの攻撃に関して話したが、彼女は冷静だった。その後、9時37分に77便はペンタゴンに突入した。
また、「ユナイテッド93」(文献11、5章)には、この日、ニューアーク発ミネアポリス行のノースウェスト1543便は、トロントに緊急着陸することになり、乗客が携帯電話で外部と連絡を取ったことが記されている。
1543便には、93便の乗客だったニコル・ミラー(Nicole Miller)のボーイフレンドのライアン・ブラウン(Ryan Brown)が搭乗していた。ブラウン氏は心配になってニコルの携帯に電話をかけたが通じなかったようだ。さらに、自分のルームメイト、ニコルの姉と母親にも電話した。彼は携帯電話の電池を使いきり、さらに座席そえ付けの航空電話も使用し、その日の電話代は400ドルに達したという。ただし、1543便がトロントに着陸後も、乗客は機内に7時間拘束されたとのことで、着陸後にかけられた電話もあっただろう。
電話が捏造だったと主張することについて
911真相究明運動の扇動者の一人であるデイビッド・レイ・グリフィンはその著書「Debunking 9/11 Debunking」(文献9)の中で、電話捏造がどのように行われたか語っている(89〜90ページ)。
電話捏造は電話線やその他の連絡線が引かれた音響スタジオで行われた。そこでは音声オペレータに、ハイジャックがどの段階にあるかわかるようにスクリーンで表示がなされていた。さらに、本物らしく聞かせるために音響効果用のテープをそろえたエンジニアも待機していた。ヘッドセットをつけた訓練されたオペレータが、音声変換装置を通じて実際の電話連絡を行った。
もし、これが本当ならば恐ろしいことだが、その証拠は一切ない。音声合成が可能だったとしても、時間差なしにリアルタイムで会話することが本当に可能なのであろうか?音声合成技術の開発者の一人であるGeorge Papcun氏もこうしたオペレーションは不可能であるとしている。(文献10) まず、大量の音声サンプルが必要になるが、さらに、死に直面するような事態において、乗客が家族に対してどんなことを言うか想定しないといけない。子供や親、愛する人に何を言うかは、普段プライベートでどのようなことをしゃべっているか盗聴でもして、事前に身辺調査しておかなければ捏造はできない。
2004年9月放送の「ビートたけしのこんなはずでは!!(22分47秒より)」では、「日本の音声合成技術」なるものが紹介されているが、これは、録音されたテープを切り刻んでつなげただけにしか聞こえないひどいものであった。
さらにグリフィンは次のように述べている。
確認しておくが、我々の多くは、たとえ軍隊で命令されたとしても、乗客の配偶者や家族にこうした電話をかけることができるとは、想像できないだろう。我々と同じ市民がそのようなことをするとは信じられない。しかし、ツインタワーの数千人やペンタゴンにいた数百人を殺すことに加担するのも信じられないことだ。ところが、あとの章で示すように我々の仲間の市民の一部がこうした殺人に加担したことを証拠は示している。こうした行為に比べれば、直接人を殺すわけではないニセの電話をかけることなど、さほど難しいことではないのだ。
しかし、アメリカ政府が911同時多発テロを自作自演したという証拠はなく、その実行犯として逮捕された人もいない。電話捏造を担当する工作部隊があったという証拠もない。
乗客からかかってきた電話は、その家族や友人が聞くことができた最後の声だったのである。ろくな証拠もないのに、それがニセモノだったなどと主張するべきではない。ところが、ネット上では、93便の乗客について「そんな人物は実在しない」とか「遺族もウソをついている(政府に発言を強要されている/騙されている)」といった暴論を述べる陰謀説肯定派を見かけることもある。
その他
- 「米連邦通信委員会,航空機内での携帯電話利用の解禁を見送り」 (ITpro) [2007/04/05]
- 「FCC TERMINATES PROCEEDING ON THE USE OF CELLULAR PHONES ONBOARD AIRCRAF」(pdfファイル) Federal Communications Commission, April 3, 200
- 「FCC: In-flight cell phone ban to continue」 By Anne Broache, Staff Writer, CNET News, Last modified: April 3, 2007 2:19 PM PDT
- 「FBI finished with Pennsylvania crash site probe」 CNN.com, September 24, 2001 Posted: 3:14 PM EDT (1914 GMT)
- 「Flight 93 families divided over memorial to passengers' heroism」 Christina Lamb, From: The Sunday Times, the Australian, September 19, 2010 3:34PM
参考文献
- 「Debunking 9/11 Myths: Why Conspiracy Theories Can't Stand Up to the Facts」 Brad Reagan (編集), David Dunbar (編集)、Hearst Books (2006/8/28)
- 「9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States」 National Commission on Terrorist Attacks W W Norton & Co Inc (2004/8/1)
- 「Flight 93 Transcript」 Wednesday, April 12, 2006 Posted: 2200 GMT (0600 HKT):CNNのサイトでボイスレコーダーの録音からおこした書写を読むことができる。
- 「United Airlines Flight 93 - Flight Data Recorder」 National Transportation Safety Board (2008-06-29)
- 「9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States」 National Commission on Terrorist Attacks, W W Norton & Co Inc (2004/8/1)
- 「9・11テロ 7つの疑惑 ビートたけし - 911 Terror - Seven Doubts - Beat Takeshi -」 Google Video
- 「リック=ギブニー中佐のエピソード」 「PULL IT (ボーイングの行方)」
- 「Flight 93」 Popular Mechanics誌のサイト
- 「Debunking 9/11 Debunking: An Answer to Popular Mechanics and Other Defenders of the Official Conspiracy Theory」 David Ray Griffin、Olive Branch Press
- 「George Papcun, Creator of Voice Morphing Technology, Speaks Against Conspiracy Theories」 9/11 Guide、Papcun氏が「HardFire」のRonald Wieck氏にあてた手紙の写し。
- 「ユナイテッド93」 ジェレ・ロングマン (著)、原口 まつ子 (翻訳)、光文社 (2006/7/12)
- 「Flight 93 page 1」 Mark Robertsのサイト。
- 「The Cellphone and Airfone Calls from Flight UA93」 A. K. Dewdney, Physics 911
- 「The Final Moments Of United Flight 93」 By Karen Breslau, Newsweek Web Exclusive, Sep 22, 2001
- 「Flight 93: Forty lives, one destiny」 PG News, Sunday, October 28, 2001
- 「Bound by fate, determination: The final hours of the passengers aboard S.F.-bound Flight 93」 Jaxon Van Derbeken, Monday, September 17, 2001, SFGate