純粋水爆説 (911陰謀論)
WTCの破壊には、「小型純粋水爆」が使われたという「トンデモ度」の高い珍説まである。日本でこの説を唱えているのは、自称「ネット・ジャーナリスト」のリチャード・コシミズ氏である。
なぜこの陰謀論がダメかという説明をする必要も本来はないだろう。こんなことを言い出す陰謀論者は水爆がどういったものか、まったくわかっていないと思われる。そもそも、あったかどうかもわからない陰謀を説明するのに、これまた、実在を確認されていない「超兵器」を持ち出したことで、2重に憶測を重ねている。さらにコシミズ氏によると、「純粋水爆」の起爆には「常温核融合」が使われたらしい(文献1)のだが、これだと3重に憶測を重ねているだけで、なんの信ぴょう性もない。
さらに付け加えると、WTCではツインタワーと第7棟の三つの高層建築が、それぞれ別々に倒壊している。(WTC2は9時59分、WTC1は10時28分、WTC7は17時20分に倒壊している) 3つも「小型水爆」が爆発したとでもいうのであろうか。この説を唱える陰謀論者はおそらく何も考えていないのだろう。
水素爆弾とは、原子核融合反応を利用した核兵器の一種である。核融合を開始するには超高温超高圧が必要なため、水爆の起爆には核分裂を利用した原子爆弾が使用されるのが普通である。なお、核融合と核分裂は異なる現象なので混同してはいけない。前者のほうが極めて困難であることは、核分裂を利用した原子炉は実用化されているが、核融合炉は実用化されていないことからもわかる。
「純粋水爆」とは原子爆弾を起爆に使用しない水素爆弾とされるが、原子爆弾の爆発に匹敵する超高温超高圧を作りだすのは極めて困難で、実用化されたという証拠はない。また、通常の水爆はメガトン級の破壊力を有する大量殺戮兵器である。ビルの破壊のためにわざわざ小型の水爆が開発されたという証拠もないし、そんなことが可能かどうかも不明だ。破壊力が弱くていいのなら、通常の爆発物を使えばいいだけではないのか?ふつうの爆弾を爆発させるだけなら、旅客機が突入に失敗したときに備えて、テロリストが仕掛けたことにしてしまえばいいので、水爆を使用する必然性はなさそうだ。
コシミズ氏によると、サーマイト説を唱えるJones博士は「911真相究明運動」をミスリードする役目を担っているニセ陰謀論者らしい。(文献2) では、コシミズ氏自身は「純粋水爆説」を唱えることで、陰謀論支持者を混乱させることを目的として送り込まれたニセ陰謀論者ではないとどうして言い切れるのだろうか?
「純粋水爆説」に対抗できるほどのヘンテコリンな珍説といえば、Judy Woodらの唱える「スターウォーズ・ビーム兵器説」ぐらいしかない。WoodらはWTCが崩壊したのは、衛星からのエネルギー・ビーム攻撃で鉄骨が粉砕されたからだと考えている。
WTCで検出されたトリチウムは微量
ウィキペディアの「アメリカ同時多発テロ事件陰謀説」の「純粋水爆説」(2010年には「水爆説」に書きかえられている)の項目では、7つの根拠が紹介されていた。しかし、その多くは論理が破綻しており、その出典も明らかではなかった。2010年には、それらの項目は消され、『まともな論議には未だ発展していない』とされている。
そこには、「トリチウムの量が通常の8倍に上昇した」とか「通常自然界に存在する55倍ものトリチウムが検出された」といった記述があったが、この数字の根拠がよくわからない。ここで引用されていたのは、ローレンス・バークレー国立研究所の報告書「Elevated tritium levels at the World Trade Center」(文献3)であるが、この報告書には「水爆」という文字は一切出てこない。
トリチウム(三重水素)は、トリチウム化した水(HTO)として検出されており、その量は、WTCの下水から0.174 nCi/L、WTC6の地下5階階段から3.54 nCi/Lと2.83 nCi/Lと極めて低濃度である。これらの値は、米環境保護局(EPA)が定める飲料水のトリチウム最低基準値20 nCi/Lよりも低く、健康への影響は考えられない。
トリチウムは放射線蛍光材料として使用されているので、その発生源とみなされているのは、ボーイング767の非常口標識や非常用脱出機具の取っ手、銃の照準器、時計の文字盤の蛍光塗料などである。WTCにはATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、CIA、シークレット・サービスや税関の事務所があり、銃器の保管庫もあった。なお、WTCの非常口標識にはトリチウムは使用されていなかった。
鋭いピークの地震波などなかった。
さらにウィキペディアの「陰謀説」の項目では、コロンビア大学などに設置された地震計が、「ビル倒壊のタイミングに合わせて、核爆発特有の鋭いピークを持つ地震波を記録した」と述べられていた。しかし、どういう根拠で「核爆発特有」と判断したかは述べられていなかった。また、この振動がどのくらいの時間、続いていたかも述べられていなかった。
Popular Mechanicsのサイト「Seismic Spikes」で、コロンビア大学の地震計の記録した振動を見ることができる。たしかに30分間の幅で見ると鋭いピークがあるように見える。しかし、これを40秒間の幅に広げてみると、震動は約十秒程度続いていることがわかる。つまり、爆発による瞬間的な揺れなど観測されていないのだ。
この地震計では旅客機が衝突したさいの振動も記録されており、倒壊後のさらに小さな崩壊による振動も記録されていて、かなり感度がよかったことがわかる。
粉塵による健康被害
911テロの際にWTCで発生した粉塵が、救援に駆け付けた消防士や救助隊、復旧作業員や周囲の住民に深刻な健康被害(Ground Zero illnesses)を及ぼした可能性があり、大問題となっている。(文献4) 肺疾患や白血病、癌などの発生が報告され、因果関係を確認するため様々な医療機関が追跡調査を行っている。(文献5) 粉塵にはアスベストなどの建築材にもともと含まれていた有毒物質や、新たに火災で発生した有毒化学物質が含まれていた。また、当時のブッシュ政権やニューヨーク市は復旧作業を急ぐあまり、粉塵の危険性を軽視し、作業員や住民の安全をおろそかにしたのではないか、という疑惑もある。
この件に関しては、History Commonsの「Environmental Impact of the 9/11 Attacks」で時系列順に記事を集めているので、詳細はこちらを参照。
ところが、一部の陰謀論者は、これはなんらかの核兵器が使われた証拠ではないか、と主張している。コシミズ氏によると、「水爆が爆発して発生した1000万度の熱は、コンクリートに含まれる水分を一瞬に蒸発させる。蒸発による圧力、つまり爆発がコンクリートを粉々に砕く」ことによって粉塵が発生したそうだ。ただし、「1000万度」という温度をどうやって測定したかは不明だ。
さらにコシミズ氏は、純粋水爆の爆発により発生したトリチウムが粉塵に含まれており、これが健康被害の原因になっていると考えているが、上記のようにWTCで発見されたトリチウムの量は安全基準値以下の濃度であった。
New York Timesの記事「What was found in the dust」(Sep. 5, 2006)で粉塵の組成比グラフを見ることができる。このグラフによると粉塵の組成は以下のようなものであった。
- 50%:繊維質以外の素材と建築材の破片(この素材は高pHなので吸引すれば肺を痛める可能性あり)
- 40%:ガラスとその他の繊維質
- 9.2%:セルロース、おそらく紙とその他の事務用品から発生したもの。
- 0.8%:アスベスト
さらに、鉛、チタン、バリウム、ダイオキシン、火災により発生した多環芳香族炭化水素化合物なども様々な分量で含まれていたと書かれてある。芳香族炭化水素で一番構造の簡単なものはベンゼンである。ベンゼンには毒性・発癌性があり、吸入すれば白血病になるリスクも高くなる。
また、HealthNewsの記事「Firefighters Face Increased Risk for Certain Cancers 」(文献6)によると、火災現場に出動する消防士は、一般の人に比べて特定の癌になるリスクが高い、という論文(文献7)も発表されている。この記事によると、一般人に比べて消防士は、精巣癌になるリスクは2倍、非ホジキンリンパ腫や前立腺癌になるリスクも有意に高く、多発性骨髄腫になるリスクも高い。
これは火災現場において、消防士が発ガン性のある化学物質(ベンゼン、ディーゼルエンジンの排気、クロロホルム、煤、スチレン、ホルムアルデヒド)にさらされるからである。これらの物質は吸入されるか皮膚から吸収されてしまう。911テロ当時のWTCに限らず、火災現場で消火や救急を行うことはもともとリスクの高い仕事であり、こうした研究を通じ、安全対策を高めることが重要である。
WTCで発生した粉塵による健康被害は今後も長期的に調査しなければならない。何年もたってから発症することも考えられるので、因果関係を明確にしておかないと、被害者の補償や救済ができなくなる可能性もある。肺機能については「Study: 9/11 lung problems persist years later」(文献8)によると、当時現場にいた約3000人の作業員の追跡調査が2004〜2007年の間に行われている。その結果、このうち28%の人に肺機能の異常が認められた。この調査結果は論文として発表もされている。(文献9)
しかし、「純粋水爆説」のような珍説はなんの役にも立たない。
WTC崩壊の際に発生した粉塵の科学的分析については、以下の書籍も参照。
- 「Dust: The Inside Story of Its Role in the September 11th Aftermath」 Paul J. Lioy (著), Rowman & Littlefield Pub Inc (2010/3/30)
911の粉塵と癌のあいだに明確な関連はなし
- 「No Clear Link Between Cancer and 9/11 Debris, Study Finds」 By ANEMONA HARTOCOLLIS, Published: December 18, 2012, The New York Times
- 「Association Between World Trade Center Exposure and Excess Cancer Risk」 Jiehui Li; James E. Cone; Amy R. Kahn; Robert M. Brackbill; Mark R. Farfel; Carolyn M. Greene; James L. Hadler; Leslie T. Stayner; Steven D. Stellman, JAMA. 2012;308(23):2479-2488. doi:10.1001/jama.2012.110980
米国環境保護局(EPA)の疑惑
WTCで発生した粉塵に関しては、米国環境保護局(U.S. Environmental Protection Agency (EPA))が、ブッシュ政権の圧力により、ろくな調査も行わずに安全宣言をしてしまったため、WTCでの作業者は防塵マスクも付けず、被害が拡大してしまったという疑惑もある。この件に関しては、英語版ウィキペディアに「EPA 9/11 pollution controversy」という項目がある。
また、Sundance Channelがドキュメンタリー「Dust to Dust: The Health Effects of 9/11」(Google Video)を制作している。このビデオによると、アスベストの量は400トンに上り、突入した旅客機の燃料9万リットルにはベンゼンが含まれていた。さらに、50万本の蛍光灯からは水銀、パソコンからは20万ポンドの鉛とカドミウム、PCBを含む変圧器のオイル13万ガロン等が放出された。
ことの発端はEPAの監査局が2008年8月に発表した報告書「EPA’s Response to the World Trade Center Collapse」(pdfファイル)である。これによると、2001年9月18日にEPAが発表した「空気は安全である」という声明「September 18, 2001」(EPA Response to September 11)は、信頼できる十分なデータがなかったにもかかわらず、ホワイトハウスの環境諮問委員会(Council on Environmental Quality)からの圧力がかかって発表されたものだった。
この声明のドラフトと最終バージョンの間には多くの違いがあることが見つかっている。たとえば、WTC付近の家庭や企業は専門業者による清掃が奨励されていたのに、ニューヨーク市からの指示に従うよう書き換えられていた。アスベストの含有量も2.1〜3.3%のサンプルも実際にはあったが、最終バージョンでは具体的な数字は消され、「1%を若干越える」としか書かれていなかった。
EPAの元長官Christine Todd Whitmanはテレビのインタビューに答えて、救助活動を行う作業員に防塵マスクを着用するよう指示する法的権限があったのは、EPAではなくニューヨーク市であったと反論している。さらにEPAがグラウンド・ゼロ近辺の空気の状態についてウソをついたことはないと述べている(文献10)
しかし、EPAの科学者Cate Jenkins氏は、WTC崩壊の粉塵による健康被害についてEPAはあからさまなウソを付いていたと告発しており、Whitman氏の証言とは明らかに矛盾している。(文献11)
EPAが行ったその他の発表については、「EPA Response to September 11」を参照。
その他の記事
911テロの粉塵による健康被害に関しては以下の記事も参照。
- 「The Plural of 'Junk Science' Is Still Junk (from the New York Post)」 By Jeff Stier, American Council on Science and Health, Posted: Wednesday, March 31, 2010
- 「9/11 junk science: Health claims lack evidence」 By JEFF STIER, New York Post, Posted: 1:10 AM, March 24, 2010
- 「Cancer Rates High For WTC Workers」 NEW YORK, Jun 11, 2006 (UPI via COMTEX)
- 「Health troubles persist for 9/11 rescue workers」 By Stephanie Armour, USA TODAY, Updated 6/25/2006 11:22 PM ET
- 「Illness Persisting in 9/11 Workers, Big Study Finds」 By ANTHONY DePALMA, The New York Times, Published: September 6, 2006
- 「Ruling Opens a Door for Thousands of Ground Zero Lawsuits」 By ANTHONY DEPALMA, The New York Times, Published: October 18, 2006
- 「Death by Dust; The frightening link between the 9-11 toxic cloud and cancer」 Kristen Lombardi, Village Voice, November 28 2006
- 「9/11 CANCER COPS BLOOD DISEASES DEVELOP IN YOUNG WTC RESPONDERS」 By SUSAN EDELMAN, New York Post, May 31, 2007
- 「WTC Workers Sickened with Rare Blood Cancer」 Friday, June 01, 2007, FOXNews.com
- 「Cancer Hits 283 Rescuers of 9-11」 By SUSAN EDELMAN, Posted: 06-12-2006, Updated: 06-14-2007 12:07:24 PM
- 「Throat cancer kills WTC worker」 BY MICHAEL WHITE, DAILY NEWS POLICE BUREAU, Tuesday, August 7th 2007, 4:00 AM
- 「CHARTING POST-9/11 DEATHS」 By SUSAN EDELMAN, New York Post, January 6, 2008
- 「9/11: Health Problems 」9/11 Remembered, NEW YORK (CBS), Sep 10, 2008 4:19 pm US/Eastern
- 「世界貿易センター惨事後のアスベスト汚染に関する情報」 安全センター情報、2001年11月号、石綿対策全国連絡会議(BANJAN)
- 「9/11 junk science: Health claims lack evidence」 By JEFF STIER, New York Post, Last Updated: 1:41 AM, March 24, 2010
参考文献
- 「WTC小型水爆倒壊説の検証 By Richard Koshimizu」の「純粋水爆の起爆」
- 「WTC小型水爆倒壊説の検証 By Richard Koshimizu」の「水爆説を打ち消すためのサーマイト説」
- 「Elevated Tritium Levels at the World Trade Center」 Thomas M. Semkowa, Ronald S. Hafnerc, Pravin P. Parekha, Gordon J. Wozniakd, Douglas K. Hainesa, Liaquat Husaina,b, Robert L. Rabune, and Philip G. Williams, 223rd American Chemical Society National Meeting, Orlando, FL, April 7-11, 2002, Division of Nuclear Chemistry and Technology, Proceedings of the Symposium on Radioanalytical Methods at the Frontier of Interdisciplinary Science: Trends and Recent Achievements
- 「Health effects arising from the September 11 attacks」 From Wikipedia, the free encyclopedia
- 「9/11 health」 WTC health registry
- 「Firefighters Face Increased Risk for Certain Cancers」 HealthNEWS, 11/10/06
- 「Cancer Risk Among Firefighters: A Review and Meta-analysis of 32 Studies」 LeMasters, Grace K.; Genaidy, Ash M.; Succop, Paul; Deddens, James; Sobeih, Tarek; Barriera-Viruet, Heriberto; Dunning, Kari; Lockey, James, Journal of Occupational and Environmental Medicine:Volume 48(11)November 2006pp 1189-1202
- 「Study: 9/11 lung problems persist years later」 By AMY WESTFELDT, Associated Press Writer, Thu Feb 5, 6:26 am ET
- 「Longitudinal Assessment of Spirometry in the World Trade Center Medical Monitoring Program」 Gwen S. Skloot, Clyde B. Schechter, Robin Herbert, Jacqueline M. Moline, Stephen M. Levin, Laura E. Crowley, Benjamin J. Luft, Iris G. Udasin and Paul L. Enright, CHEST February 2009 vol. 135 no. 2 492-498
- 「The Dust At Ground Zero」 Katie Couric for 60 Minutes CBS News originally broadcast on Sep. 10, 2006
- 「E.P.A. Whistle-Blower Says U.S. Hid 9/11 Dust Danger」 By ANTHONY DePALMA, August 25, 2006, The New York Times