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班目春樹 (東日本大震災)

東日本大震災・デマ・風評被害・陰謀論


 東京電力福島第1原発事故の際、旧内閣府原子力安全委員会委員長だった班目(まだらめ)春樹氏(65)が24日、東京都内で講演した。当時の初動対応について「もう少し早ければ水素爆発などを防げたが、当時理解している人は少なかった」と反省した。

 

 一方、原子力規制委員会には「非常事態を乗り切るには電力事業者との信頼関係が欠かせない。(旧原子力安全・保安院時代より)もっと関係がひどくなっているのが非常に心配だ」と述べた。【中西拓司】

規制する側と規制される電力会社の仲が良すぎると、「癒着」と呼ばれるようになるのではなかろうか?

 東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷容疑などで刑事告発されている内閣府原子力安全委員会(廃止)の班目春樹・元委員長(64)について、検察当局が任意で事情聴取したことがわかった。

 

 同様に告発されている事故時の東電トップらの聴取も進んでおり、検察は早ければ3月にも立件するかどうか判断するとみられる。

 

 班目元委員長は、2011年3月11日の事故直後から首相官邸や原発で菅首相(当時)らに事故の対処法や避難範囲などを助言。同23日には、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI(スピーディ)」を使った拡散状況の試算を公表した。

 

 これに関し、告発状は「試算の公表が遅く、多数の住民を被曝させた」としたほか、「安全委員長として津波対策を怠り、事故を招いた」と指摘している。

「内閣府原子力安全委員会」34年の歴史に幕

 原発の安全規制を担う「原子力規制委員会」の発足に伴って廃止される「内閣府原子力安全委員会」は18日午前、最後の会合を開き、34年の歴史に幕を下ろした。班目(まだらめ)春樹委員長は、会合の最後に、東京電力福島第1原発事故を防げなかったことについて「反省すべき点は多々ある。備えの大切さを痛感した」と発言した。だが「一般の人はゼロリスクを求め、リスクを前提に議論するのがはばかられる風潮があった」とも述べ、自らの責任には言及しなかった。

 

 安全委は3月、重点的な防災対策を求める区域を原発の8〜10キロ圏から30キロ圏に拡大した防災指針の改定案を提示。原発の耐震設計審査指針(耐震指針)と安全設計審査指針の改定案も示し、福島第1原発で起きた長時間の全電源喪失への対策と、原発ごとの津波の高さの想定方法を規定した。ただ三つの指針の改定作業は終わっておらず、19日に発足する規制委が、各改定案を基に新たな安全基準を10カ月以内に作らなくてはならない。

委員長辞意のはずが…

 3月末で退任する意向を示していた原子力安全委員会の班目春樹委員長は30日の記者会見で「他の委員から強く慰留され考え直した」と述べ、4月以降も当面続投する考えを明らかにした。

 

 一方、安全委は4月16日に他の4人の委員のうち3人の任期が切れ、このままだと本会議を開けなくなる。班目委員長は「3人とも再任の意志はないと明言しているが、安全委が機能しなくなると行政手続きが進まなくなり問題だ」と話し、今後の対応を細野豪志・原発事故担当相と相談して決めるとした。

 

 4月1日の発足を目指していた原子力規制庁は関連法案の審議に入っておらず、4月以降も安全委が存続することになった。細野原発担当相は30日午前の閣議後会見で「安全委は規制庁が発足するまでの間は、存続させなければならないし、機能させていかなければならない」と強調。その上で「4月16日までは少し時間があるので、どういう形で機能させていくのかについて私が判断していきたい」と述べた。

 国の原子力安全委員会の班目春樹委員長は12日の記者会見で「精神的にやや限界で、区切りを付けたい」と述べ、同委員会などを再編して設置される原子力規制庁の発足が4月1日以降にずれ込んだ場合でも、3月末で退任する意向を示した。

 原子力規制庁は、国会情勢の影響で当初予定の4月1日発足が難しい状況。班目委員長は「安全委員会の人事は国会同意人事で重い」とした上で、「他の4委員ともよく相談しないといけないが、まだ他の委員の意向は確認していない」とも述べ、独断での退任は否定した。

 内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長(63)は9日、読売新聞の取材に対し、環境省の外局として設立される原子力規制組織「原子力規制庁」の発足が遅れても、「3月31日で区切りを付けたい」と今月末に退任したいとの考えを示した。

 

 班目氏は「東京電力福島第一原発の事故対応などで本当に疲れた」と現在の心境を語った。

 

 原子力規制庁は国会情勢の関係で当初の予定だった4月1日の発足は事実上、困難な見通し。その場合、経済産業省原子力安全・保安院と安全委による規制が続く。

 

 安全委は「ストレステスト(耐性検査)」の1次評価など、原発の再稼働に必要な手続きを担っている。ただ、班目氏は「辞任は周辺と相談しなくてはいけない。私の一存では決められない」とも述べた。

国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会で陳謝

1) 原子力安全委員会の班目委員長自身が安全指針そのものに瑕疵があったことを認め、謝罪された。とくに昭和39年の原子炉立地審査指針という、時代に沿わない指針をもとに設置が許可されていること、今回の事故では、同指針に規定する「仮想事故」(「重大事故を越えるような技術的には起こることは考えられない事故」)よりも、はるかに多くの放射能が放出され、現状の発電所の安全性に大きな問題があることが明らかになった。また、(原子力発電所を)建てられない日本に、建てられるように基準を作っており、全面的にその改訂が必要であるとの認識も示された。

 内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は15日、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)に参考人として出席し、原発の津波対策や全電源喪失などに関する国の安全指針について、「瑕疵があったことは認めざるを得ない。おわび申し上げたい」と陳謝し、指針の抜本的な見直しが必要との認識を示した。

 

 班目氏は従来の指針の問題点に関して、「津波に対して十分な記載がなかったことや、原発の電源喪失は『長時間は考えなくていい』と書くなど、明らかな誤りがあった」と指摘した。

 

 そのうえで、「諸外国で(厳しい安全指針が)検討されている時に、日本ではそこまでやらなくていいという言い訳ばかり時間をかけて、意思決定ができにくいシステムになっている。そのあたりに問題の根っこがあるのではないか」と語り、構造的な問題があるとの認識を示した。

 

 今回は事故調査委にとって初の本格的なヒアリングとなった。班目氏のほか、経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長も参考人として出席し、「(原発事故への)備えができていないままに今回の事故が生じてしまった。規制当局としても問題があった」と述べ、安全対策が不十分だったと認めた。

 国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会での班目春樹原子力安全委員会委員長の発言要旨は次の通り。

 

 【原発の安全審査体制】

 

 原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵があったことははっきりと認めざるを得ない。津波に対して十分な記載がなく、全電源喪失については、解説で「長時間そういうものは考えなくてもよい」とまで書いている。原子力安全委員会を代表しておわびする。

 

 【原発の安全確保】

 

 国際的に安全基準を高める動きがある中、日本では、「なぜそれをしなくていいか」という言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかったのではないか。

 

 安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている。そもそもシビアアクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった。

 

 【原発事故時の住民避難】

 

 放射性物質拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」の計算には1時間かかる。今回のような原発事故にはとても間に合わなかった。

 

 予測計算などに頼った避難計画を立てたのが間違いで、発電所で大変なことになっているという宣言があったら、ただちにすぐそばの方には避難してもらうというルールにしておくべきだった。スピーディが生きていたら、もうちょっとうまく避難できたというのはまったくの誤解だ。

 安全委員会の(原発の)指針類にいろんな瑕疵があったことは認めざるを得ない。津波に対し十分な記載がなかったことや、長時間の全交流電源喪失を考えなくていいと書くなど明らかな誤りがあった。おわび申し上げたい。

 

 諸外国では(電源対策などが)検討されたのに、わが国ではやらなくていいという言い訳、説明にばかり時間をかけてしまう。抵抗があってもやるという意思決定ができにくいシステムに問題があるのではないか。

 官僚制度の限界もある。2年ぐらいで担当者が代わり、任期中に終わらない大きな問題に手を出さない。一番低い基準を電力会社が提案するとのんでしまう。基準が出ると今度は、国がお墨付きを与えたと(電力会社が)安全を向上させる努力をしなくなる悪循環に陥っていたのではないか。

 

 事故当時、1週間以上ほとんど寝ておらず、記憶は飛んでいる。どういう助言をしたか、ほとんど覚えてない。

 班目委員長は原発の立地条件を定める「立地審査指針」の基準について「抜本的な見直しが必要だ」と述べた。現行の指針を「敷地周辺に被害を及ぼさないように定めたとしか思えない」と指摘。福島第1原発事故で放射性物質が大量に放出されたことから、指針を改める必要があるとの考えを示した。ただ指針をどう見直すかや原発再稼働への影響については言及しなかった。

 

 また炉心溶融などの過酷な事故に関しては「今までのように『日本では起きない』という言い訳が通用しないのは明々白々だ」と規制強化の必要性を強調した。

 また、放射性物質の拡散予測システム(SPEEDI)を避難に活用しなかったと政府事故調などで指摘されていることについて、班目氏は「SPEEDIがあればうまく避難できたというのは全くの誤解だ」と反論。寺坂氏は「避難方向など何らかの形で有用な情報になったのではないかという思いはある」と述べ、異なる認識を示した。

 

 黒川委員長は委員会後の会見で「安全委員会と保安院は安全を担う使命を持っているが、緊急時の備えができておらず、事故がない前提で原子力行政を推進するなど、国民の安全を守る意識が希薄だ」と批判した。

国会の原発事故調査委員会のあと、黒川委員長は記者会見し、「班目氏が、原発の安全対策を示した国の指針が不十分であったことを認めるなど、今後の調査に向けて極めて参考になるヒアリングだった。緊急時の備えが、極めて出来ていなかった。原発事故を引き起こした日本としては、国際的に認識されるような安全基準をつくる責務がある」と述べました。

助言

国会事故調査委員会で班目氏は「事故当時、1週間以上ほとんど寝ておらず、記憶は飛んでいる。どういう助言をしたか、ほとんど覚えてない」と語ったらしいが、以下のような助言をしたことが報道されている。

原発は爆発しない

3月12日早朝、福島第1原発の視察に向かう陸自ヘリ機内の中で、菅総理に「原発は爆発しない」と助言したと各報道機関は伝えている。たとえば、以下の例を参照。

 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。 

 

 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。

 

 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。

 

 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。

この記事を読む限り、班目氏は「視察の前に(ベント)作業は当然行われていた」と考えていたようなので、これを根拠に「爆発しない」と言った可能性はあるようだ。以下の記事によると、「水の注入が始まっていると勝手に思い込んでおり、炉心は溶けていないと思っていた」とのこと。

 国の原子力安全委員会の班目春樹委員長は1日、衆院予算委員会に参考人として出席し、事故直後に班目委員長1人が官邸で助言を続けたことについて、「このような形でずっと助言すると思っていなかった。技術的な人間を集めて議論すべきだったと反省している」と述べた。

 

 28日に公表された民間事故調の報告書では、経済産業省原子力安全・保安院から事故の情報が入らない中、班目委員長が1人で菅直人首相(当時)らに技術的助言をする形となり、水素爆発の見通しを誤るなどして官邸側の信頼を損ない、過剰な介入を招いたとされた。

 

 班目委員長は、昨年3月12日午前に菅首相と自衛隊ヘリで原発を視察した際の認識について、「水の注入が始まっていると勝手に思い込んでおり、炉心は溶けていないと思っていた」と説明。「後から考えると、既に格納容器の圧力が上がっていたので、炉心が溶けて水素が発生していたと考えなければいけなかった」と反省を述べた。 

民間事故調報告書

福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」(p.79)において、この件については以下のように記述されている。

原発に向かうヘリコプターで班目委員長は菅首相にいろいろな懸念を伝えたかったが、菅首相は「俺の質問にだけ答えろ」とそれを許さなかった。その後ヘリコプターの中で一問一答の形で会話が交わされるが、そのなかの一つが「水素爆発は起こるのか」だった。班目委員長は「格納容器のなかでは窒素で全部置換されていて酸素がないから爆発はしない」と答えた。格納容器から原子炉建屋へ水素が漏れる事態を想定していなかったためであるが、12日に1号機で水素爆発が起こると班目委員長は一気に菅首相の信頼を失うことになった。

爆発後の班目委員長の反応については、以下の記事を参照。

 事故後の原発視察で首相から水素爆発の可能性を問われた班目委員長は「ない」と答えた。しかし帰京後に官邸で1号機の水素爆発の映像がテレビで流れる。委員長は「あー」とだけ言い、頭を抱えて前のめりになった。ぼうぜん自失し「(水素爆発とすぐにわかったが)誰にも言えなかった」。経済産業省・原子力安全・保安院や東電の幹部も説明に窮する場面が相次いだ。「この人たちのいうことも疑ってかからなければいけないな」(海江田万里経済産業相)。官邸側は専門家への不信感を募らせていった。

 同12日午後3時36分、1号機原子炉建屋が水素爆発する。約1時間後、首相執務室に寺田学首相補佐官が駆け込んできた。テレビのチャンネルを変えると、建屋が爆発、白煙が上がる映像が流れた。

 

 「爆発しているじゃないですか。爆発しないって言ったじゃないですか」。驚く菅首相に、そばにいた原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は「あー」と頭を抱えるしかなかった。

福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」(p.80-81)には、以下のように記述されている。

 3月12日15時36分、福島第一原発1号機が爆発した時、菅首相は野党と党首会談を行なっている最中であった。会談を終え首相が官邸5階にある首相執務室に戻ると、1号機から白煙が上がっているとの情報がもたらされた。福山副長官が班目委員長に対して「(これは)何なんですか」と説明を求めたところ、班目氏は当初「揮発性のものなどがあちこちにあるので、それが燃えているんじゃないか」という見立てを示した。首相執務室とそれに隣接した応接室には、ホワイトボードやテレビが持ち込まれ、12日午後以降、福島原発対応に関する政府の最高意思決定の舞台となっていた。関係者が引き続き状況を注視する中、第一報から1時間ほど経過した頃に寺田補佐官が首相執務室に駆け込みテレビのチャンネルを変えると、大爆発により建屋が吹き飛び大量の白煙が上がっている映像が繰り返し流れていた。班目委員長の説明したイメージとのギャップに菅首相は「あれは白煙が上がっているのか。爆発しているじゃないですか。爆発しないって言ったじゃないですか」と班目委員長の説明していたイメージとのギャップに驚きを示したところ、班目委員長は「あー」と頭を前のめりに抱えるばかりであった。

 菅首相から保安院と東京電力に直ちに事実確認の報告が指示されたが、東京電力からは「今免震重要棟からスタッフが徒歩で様子を見に行っています」という報告だけが返ってきた。福山副長官が再度班目委員長に「あれはスリーマイルとかチェルノブイリの爆発じゃないんですか」と尋ねたが、班目委員長から明確な回答はなかった。班目委員長は爆発映像を見て「水素爆発だ」とすぐに思いついたが、首相の原発視察同行時「水素爆発はない」と答えていたこともあり、茫然自失してそのことを「誰にも言えなかった」と証言する。

再臨界の可能性はゼロではない

3月12日夜から行われていた福島第一原発での海水注入作業について、「再臨界の可能性はゼロではない」と述べたため、首相官邸は海水注入の中止を指示したとされる。しかし、実際は現場の判断で海水注入作業は中断されなかった。

民間事故調報告書

 同午後5時55分に海江田万里経済産業相(同)は原子炉冷却のために海水注入を指示し官邸の会議で報告。ところが菅首相は「分かっているのか、塩が入っているんだぞ。影響を考えたのか」と議論を引き戻した。

 

 さらに班目氏に対して核分裂が連鎖的に起きる「再臨界」の可能性を問いただすと、返答は「ゼロではない」。菅首相は「大変じゃないか」と再臨界防止方法の検討も指示した。

 

 会議参加者の間では既に、早急な海水注入が必要との認識で一致していた。「今度失敗したら大変なことになる」。菅首相に疑念を抱かせないように、次の会議に向け、各自の発言内容の確認と入念なリハーサルが行われる“茶番”も繰り広げられた。

福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」(p.82-83)には、以下のように記述されている。

 18時に菅総理が入室し、海江田経済産業相が海水注入の方針を報告すると、首相から「わかっているのか、塩が入ってるんだぞ、その影響は考えたのか」などと海水注入の問題点が聞かれ、班目委員長が塩分が流路をふさぐリスクや腐食のリスク等について説明した。その中で、菅首相が強い調子で再臨界の可能性について一同に問いただしたところ、班目委員長は「再臨界の可能性はゼロではない」と回答し、これに首相は「じゃ、大変じゃないか」と答えた。武黒フェローが、ホースの損傷により海水注入には1時間半は準備に時間がかかるとの説明をしたこともあり、首相が関係者にそれまでにほう酸投入など再臨界を防ぐ方法を含めた再検討を指示し、解散した。

 班目委員長の発言及びその後の菅首相の反応に驚いた関係者は、海水注入の実施ができなくなることを懸念し、散会後直ちに首相秘書官室横の小部屋に集まり今後の対応を協議した。経産省の柳瀬唯夫総務課長、原子力安全委員会の班目委員長及び久木田豊委員長代理、東京電力の武黒フェロー、首相秘書官らが集まった席で、班目委員長の発言の真意が確認された。班目委員長は「ああ言われたんで、技術者としてはそういうしかなかった」と述べたが、参加者の間ではとにかく早急な海水注入が必要であるという認識で直ちに一致した。柳瀬課長は「今度失敗したら大変なことになる」と述べ、再説明の機会に菅首相に懸念を抱かせないための各自の発言内容の確認と入念なリハーサルが行われた。再臨界の可能性の説明について、班目委員長は「久木田さんにお願いしたいと思います」と述べ、久木田委員長代理が「わかりました」と答えた。

 19時40分に菅首相を交えて再開された会議においては、打ち合わせ通り武黒フェローが東京電力としては海水注入を実施したい旨をまず述べた。続いて久木田委員長代理が先の班目委員長の発言に関連して「再臨界の可能性については極めて低い一方、海水注入の必要性は極めて高い」と述べた。また細野補佐官が、注水のためのホースが使用可能である確認がとれたことを報告した。菅首相も一連の説明に納得し、19時55分に海江田経産相に海水注入を指示した。班目委員長は再開後の会議には参加せず、19時半には内閣府に戻っていた。

 なお、この間、東京電力では18時05分に内部会議の席上、海江田経産相から法令に基づく注水指示があったことが共有され、19時04分に海水注入が開始された。その後まもなく官邸の武黒フェローから吉田所長に直接電話があり、「首相の了解がまだとれていない、海水注入を待って欲しい」という趣旨の連絡が行われた。政府事故調の中間報告によれば、現地の吉田所長はその後東京電力本社の武藤副社長らに対応を相談したが、本店側も一時中断はやむなしとの考えであった。しかし、吉田所長は自らの責任で海水注入の継続を決断、本店に対しては海水注入を中断すると事実と異なる報告をしつつ、注入作業の担当責任者に対しては直後、海水注入を指示して継続したとされる。

衆院復興特委におけるやりとり

 また、同委員会の班目春樹委員長が海水を注入すれば「再臨界の危険性がある」と発言したと一時発表されたことに関し、班目氏は「多分、首相から『再臨界は気にしなくていいのか』という発言があったので、『再臨界の可能性はゼロではない』と申し上げた。これは確かだ」と説明した。いずれも自民党の谷垣禎一総裁への答弁。

実際のやり取りは以下のようなもの。

○谷垣委員 海水注入に当たって考うべき問題点を検討する、こういうことですね。(菅内閣総理大臣「はい」と呼ぶ)

 では、ここで班目原子力安全委員長に伺いたいと思うんですが、報道によりますと、いろいろな報道がありまして何が正しいのかということでありますが、委員長がこの会議で再臨界の可能性を指摘されたという報道がございました。そのような進言を、あるいは意見具申をされたんでしょうか。

 

○班目参考人 その場においては、海水を注入することによる問題点をとにかくすべて洗い出してくれという総理からの指示がございました。私の方からは、海水を入れたら、例えば塩が析出してしまって流路がふさがる可能性もありますよとか、腐食の問題がありますよとか、その他いろいろ申し上げました。

 そんな中で、多分総理からだと思うんですが、どなたかから、再臨界について気にしなくてもいいのかという発言がありましたので、それに対して私は、再臨界の可能性はゼロではないと申し上げた、これは確かでございます。

 

○谷垣委員 そうしますと、恐らく、この時点で何よりも必要なことは冷却していくことだ、この点はもう皆一致した考え方だと思うんですね。その中で、なかなか真水による冷却ができない、こういうことで海水注入の問題点が議論されたということだと思いますが、その中で、では、今の御議論の中で、臨界の可能性はゼロではない、専門家としてそういう御意見をおっしゃった。

 そうしますと、そこで、あの時点で海水注入はすべきではないということはおっしゃったんでしょうか。

 

○班目参考人 私の方からは、この六時の会合よりもずっと前から、格納容器だけは守ってください、そのためには炉心に水を入れることが必要です、真水がないんだったらば海水で結構です、とにかく水を入れることだけは続けてくださいというふうにはずっと申し上げておりました。

○谷垣委員 それでは、班目委員長に伺いたいと思います。

 当初の発表で、班目委員長から、再臨界の危険性があるという意見が出されたのでという表現になっておりました。これは、報道によると、班目委員長は、こうではなかった、事実は違うといって抗議をされて、そうして、先ほどの御発言のように、可能性がゼロではないということで、班目委員長もそれならばそうだと納得をされた。

 しかし、では、そうだとすれば伺いますが、このときの主たる議論は、やはり再臨界の危険性をめぐっての議論だったんですか。

 

○班目参考人 当時の状況としては、爆発、水素爆発だろうとは思ってはいましたけれども、現場は相当混乱しておりました。そんな中で、さらにこれから先進めるに当たっては、ありとあらゆる危険性をしっかり考えた上で進みたいというふうに総理がおっしゃったので、私はそのとおりだと思いました。そういう意味で、海水注入まではまだ時間があると我々は本当に認識していました。したがって、その間にあらゆる可能性について検討すべきこと、これは私、原子力安全委員会の立場として当然のことだと思ったので、そういう検討を始めたということでございます。

 したがいまして……(発言する者あり)早く冷やせということについては一言も変えたことはございませんし、何ら、そのときの検討が問題を引き起こしているとは、私は全く思っておりません。

○斉藤(鉄)委員 百歩譲ってそうだとして、そうしますと、メルトダウンもあり得る、そういう可能性の中で議論があったというのであれば、今、最悪の事態はこういう可能性がありますと、それを国民に示して、その上で、今我々としてはこういう手を打ちたい、こういう情報の発信の仕方をすべきだったのではないでしょうか、私はそのように思います。

 安全委員長、このことについてきょうの新聞に、私は再臨界の危険性があるなどと言っていないということを抗議されて、結局、発表の訂正を求める班目氏に、官房副長官の福山氏が、可能性はゼロではないと発言したとする案を提示、班目氏も了承したと。これは談合じゃないですか。

 そういうことも含めて、ここで、いわゆるメルトダウンということもあの時点で議論されていたかどうか、もう時間がないので端的にお願いいたします。

 

○班目参考人 まず、最初の御質問ですけれども、福山副官房長官の方からの提案ではございません。私の発言として、再臨界の可能性についてゼロとは言えないというふうに申し上げたところ、そのように修正していただいたということでございます。

 それから、私は、燃料は一部溶けているだろうという認識は当然持ってございました。

○斉藤(鉄)委員 ですから、政府部内の中でもメルトダウンということは明確に議論をされていたわけです。そして、その情報が、そういうことも議論されていたのに、そういうことを隠して、ある意味では隠してですよ、国民にそれが開示されることがなかった。このことが国民が不信を持っている一つの大きな原因になるのではないか、このように思います。

 そして、あと二つだけ、どうしても質問させてください。

 一つはSPEEDIでございます。メルトダウンということも原子力安全・保安院の中で解析されていた、したがって、線源、どれだけの放射能が出るかということも、ラフな、大まかな値ですけれども出てきた。であるのに、原子力安全委員会の方でいわゆる拡散の計算、これをしなかったのはなぜか。

 私は、線源情報がよくわからないから計算しなかったというふうに原子力安全委員会のホームページにありますけれども、そういう意味では、政府部内でそういう、メルトダウンしてそれが線源になって環境に飛散するという情報もあったということでございます。その報告書に書いてあるわけで、それをなぜしなかったかということが一つ。

 そして最後に、総理に、もう背景をお話しする時間はなくなってきましたけれども、校庭の二十ミリシーベルト、これは日本の医師会も科学的根拠がないと明確に言っております。また、私も国際放射線防護委員会の報告書を読みましたけれども、これは一から二十ミリシーベルトの中の低い方の値から選択すべきだと。私は、一ミリシーベルトということは可能だと思います。

 総理は、ALARAの精神、御存じかと思いますけれども、達成可能な合理的な方法でできるだけ低く被曝量を抑えるべきだ、その考え方に基づいて、例えば校庭の表土を取るとか、そういう形で十分低い方の、子供の被曝を抑えることができる、このように思いますけれども、ぜひ総理としてそこを決断すべきだと公明党として主張したいと思いますが、この二点についてお伺いをいたします。

 

○班目参考人 当初のSPEEDIの運用は、これは文部科学省であって、原子力安全委員会ではございません。原子力安全委員会にも配信はされてございますが、それを所有しているのは文部科学省ですので、ぜひその辺は文部科学省の方にお尋ねいただきたいと思います。

 我々は、三月十六日になって初めて、むしろこれは、普通の生活ができないので逆算で求められないかということの委託を受けたということでございます。

○柿澤委員 菅総理は当時、再臨界のことも心配をして、そして専門家の意見を聞いた、こういうことであります。

 この場合の再臨界の可能性があるというのは、どういう事態を示唆しているんでしょうか。これは、燃料棒が原形をとどめ、制御棒が入っている状態であれば、そういうことは起こらないというふうに思うんです。核反応が再び起こる再臨界というのは、こういう安定した状態では起こらないというふうに思うんです。

 班目委員長、こういう再臨界が起こる懸念があるということは、どういう事態がこの原子炉の容器内で起こっているというふうに想定されますか。

 

○班目参考人 実際に燃料が若干でも溶けて、再配置といいますか位置が変わることによって、より臨界になりやすくなるということをおっしゃる方がいます。そういう意味では、今現在ですら再臨界が起こっているのではないかというようなことを言われる学者の先生もおります。しかしながら、再臨界になったからといって、新たに大きな熱が生じるとか、そういう危険性は認識してございませんが、そういうふうに聞かれましたら、再臨界の可能性はゼロではないという答え方になるかと思います。

([004/004] 177 - 衆 - 東日本大震災復興特別委… - 2号 平成23年05月23日)

「再臨界の可能性」発言報道と班目氏による否定

 班目氏は一時「再臨界を言うはずがない。私の原子力に関する知識をばかにしている。侮辱もいいところだ」と批判していたが、要請後、毎日新聞の取材に「(学問の世界では)ゼロでないという発言をしたという記憶がよみがえった。この発言に事務官が過敏に反応していた」と軌道修正。21日の文書の表現を「再臨界の可能性を問われ、ゼロではないとの趣旨の回答をした」と訂正することで折り合ったという。

 

 多くの専門家は再臨界の可能性は皆無に近かったとみている。住田健二・大阪大名誉教授(原子炉工学)は「原子炉内に真水が大量に入っている状態で海水を入れても、臨界に必要な中性子の吸収量はほとんど変わらない。不純物が混ざれば、むしろ中性子が吸収されて臨界が妨げられる」と分析。「海水注入が(55分間)止まったことで、炉内の温度が上がったり、沸騰したりした可能性はあり、影響はあったと思う」と話す。【岡田英、野田武】

 班目氏は22日、内閣府で記者団に「そんなことを言ったら私の原子力専門家の生命は終わりだ。名誉毀損(きそん)で冗談ではない」と強調。さらに「(真水を)海水に替えたら不純物が混ざるから、むしろ臨界の可能性は下がる」と説明していた。

【斑目委員長一問一答】

 

 −−政府は海水注入の一時中断は班目委員長が「再臨界の恐れがある」と指摘したからだとするが

 

 「私が言ったのならば、少なくとも私の原子力専門家としての生命は終わりだ。一般論として温度が下がれば臨界の可能性は高まる。『臨界の可能性はまったくないのか』と聞かれれば、『ゼロではない』と答えるが、私にとって可能性がゼロではないというのは『考えなくてもいい』という意味だ」

 

 −−そういう発言をしたのか

 

 「覚えていないが、私が『注水をやめろ』と言ったことは絶対にない」

 

 −−政府側は班目氏が指摘したと繰り返し主張している

 

 「私への名誉毀損(きそん)だ。冗談じゃない。私は原子力の専門家だ。一般的に海水に替えたら、不純物が混ざるから臨界の可能性は下がる。淡水を海水に替えて臨界の危険性が高まったと私が言うとは思えない」

 

 −−当日のことを明確に覚えてはいないか

 

 「私は海水注入が始まったと聞いて、ほっとして、原子力安全委員会に戻った。一つだけいえることは首相が『注水をやめろ』と言ったとは聞いていない。私が知る限り、当時首相と一緒にいた人が注水を途中でやめるように指示を出した可能性はゼロだ」

 

 −−委員会として抗議文などを考えているのか

 

 「その前に政府・東京電力統合対策室に(説明の)修正文を作るようにお願いした」

 1号機では、3月12日午後3時半すぎ、水素爆発が発生。東電の公開資料によると、東電は同日午後7時4分から海水注入を開始した。一方、首相官邸での対応協議の席上、原子力安全委員会の班目春樹委員長が再臨界が起きる可能性を菅直人首相に進言。これを受けて首相が中断を指示し、午後7時25分に海水注入を停止した。

 その後、問題がないと分かったため、午後8時20分に海水とホウ酸の注入を開始したが、55分の間、冷却がストップした。

機能しなかった原子力安全委員会

これらの記事によると、3月11日に、原子力安全委員会は「緊急事態応急対策調査委員」40人に対し、携帯電話のメールで招集したものの、委員との連絡がつかないことや交通機関が止まっていたことから、当日集まることができたのは、歩いてきた数人だけだった。国の防災基本計画では、原子力災害の発生時には、専門家を現地に派遣すると定めているが、地震発生直後に現地に派遣されたのは事務局職員1人だけであり、4月17日になって、やっと政府の現地対策本部(福島市)に専門家2人が派遣された。

地震発生当日の委員参集について、委員会の事務局は「明らかにすることはできない」と、今まで取材に応じていなかったが、27日に開かれた衆議院の決算行政監視委員会で、班目春樹委員長が、こうした事実を初めて明らかにし、「派遣が大変遅くなってしまった。失敗だったと思い反省している」と述べた。実際の発言は以下のようなもの。

 それでは、原子力安全委員会がこれまでとってきたことについて御説明申し上げます。

 全交流電源喪失の通報を受けて、直ちに委員会を開き、緊急助言組織というのを立ち上げてございます。そして、緊急事態応急対策調査委員という方が四十名いらっしゃるのですが、その方たちに直ちに携帯メールで発信しました。しかしながら、これは全く機能しませんでした。そこで、電話をあちらこちらにかけて、ようやくつかまった方も交通機関が全く麻痺して集まれないということがわかりました。その中で、数人の調査委員の方は徒歩で安全委員会の方へ来ていただいたわけでございます。

 原子力災害対策本部が立ち上がって以来、そちらの方から専門的助言依頼というのが安全委員会の方に殺到してございます。結局、安全委員はもちろんですが、調査委員十六名とそれ以外の専門の方、外部専門家の方十六名とでこれに対する対応に当たらせていただきました。実際には二十四時間体制で当たらなきゃいけないこと、それから、このような方はほかにちゃんとした職業をお持ちですので、それとの兼ね合いで大変な負担をかけてしまったということで心苦しく思っているところでございます。

 一方で、調査委員をお願いしておきながら、結局、お声をかけるのが随分遅くなってしまった先生方もいらっしゃいます。このあたりにつきましては、それでよかったかどうか、これから反省すべき材料ではないかと思っております。

 それから、現地対策本部が立ち上がったということで、早速安全委員を初め数名を派遣しようと思いました。しかしながら、本部の方に問い合わせたところ、現地に行くにはヘリコプター以外の方法はないこと、それからヘリコプターには安全委員会の方は一名だけにしてくれというふうに言われましたので、とりあえず事務局員一名だけを現地に送ってございます。

 しかしながら、現地の方は、最初はオフサイトセンターに立ち上がったんですが、避難区域の設定等によりまして、やがて福島県庁の方に移ってございます。その結果、現地対策本部との通信手段というのは非常に限られたものとなってございます。一方で、統合本部というのが東京電力の本店内に設けられまして、むしろ第一福島発電所のいろいろな情報はそちらからの方が入手しやすくなってございます。こんなことがありまして、現地対策本部へ安全委員や調査委員等、専門家を送るのは大変遅くなってしまいました。このあたりにつきましては本当に失敗だったと思って反省しております。

 安全委員会の方では、日ごろから防災訓練を重ねております。しかしながら、今回の事態においては、その多くが実は役に立たなかったという実態がございます。

 私どもとしては、限られたリソースというのを最善の使い方をするという方針に立ちまして最大限の努力をしたつもりでございますけれども、このあたりの評価につきましては第三者にお任せしたいと思っております。

([024/033] 177 - 衆 - 決算行政監視委員会 - 3号 平成23年04月27日)

 原子力の安全確保の基本方針を決める原子力安全委員会の存在が、揺らいでいる。事故時には専門家の立場から政府や事業者に助言をする役割も担うことになっているが、福島第一原発の対応では本来の使命を十分に果たせていない。未曽有の大事故に、能力の限界を指摘する声も内部から上がっている。

 

 安全委は内閣府に置かれた、省庁から独立した機関。作業員2人が死亡、住民ら約660人が被曝(ひばく)した核燃料施設JCOの臨界事故(1999年)の反省から、直接事業者を規制する原子力安全・保安院が経済産業省の中に設けられ、その保安院の安全規制を監視するお目付け役として、独立色を強めたはずだった。

 

 安全委の委員は、原子力や放射線などの専門家5人。約100人の職員が事務局として支える。ふだんは安全審査や原子力防災の指針を定めるなどの仕事をしているが、今回のような事故時には、緊急に専門家集団を設けて首相に技術的助言をすることが原子力災害対策特別措置法で決まっている。

 

 だが、安全委は当初沈黙を続けた。住民の被曝や汚染の広がりの予測に役立つ放射能拡散の試算もなかなか公表しなかった。

 

 班目(まだらめ)春樹委員長が初めて会見したのは、地震発生から12日後の3月23日。「助言機関として黒衣に徹してきた」と釈明した。2号機の建屋外で高濃度の放射能汚染水が見つかった28日の会見では、「どんな形で処理できるか知識を持ち合わせていない。保安院で指導してほしい」と自らの役割を否定するような発言も飛び出した。

(この記事では「助言機関として黒衣に徹してきた」となっているが、実際の発言は「黒子に徹して行動した」)

 代谷(しろや)誠治委員は「原子炉の圧力などの重要なデータが時々刻々で入ってこない」と打ち明ける。4月1日に始まった原発敷地内での飛散防止剤散布も「漏れ伝わってきた程度」といらだちを隠さない。

 安全委は4日に開いた定例会で、地震後初めて保安院から事故の正式な報告を受けた。報告内容はすでに入手済みの情報ばかり。班目委員長は「保安院とのコミュニケーションが足りないと思っていた。今回の報告が改善の一歩になれば、というのが本音だ」と話した

「保安院の安全規制を監視するお目付け役」だったはずなのに、「保安院とのコミュニケーションが足りない」というのではどうしようもない。まったく「お目付け役」として機能していない。

班目春樹・原子力安全委員長は28日夜の記者会見で、東京電力福島第1原発のトレンチでみつかった高放射線量の汚染水への対応について、「どのような形ですみやかに実施できるかについて、安全委ではそれだけの知識を持ち合わせていない。まずは事業者(東京電力)が解決策を示すとともに、原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」と述べた。首相への勧告権限も持つ専門家集団トップの発言だけに、その役割について議論を呼びそうだ。

 

 同委員会は原子力利用時の安全確保のために基本な考え方を示し、行政機関や事業者を指導する役割を担い、他の審議会より強い権限を持つ。だが、班目委員長は23日に会見するまで、国民に対して見解や助言の内容などを説明することがほとんどなく批判を浴びていた。【大場あい】

経済学部出身の寺坂信昭氏が院長を務める保安院に対して、「知識を持ち合わせていない。指導してほしい」などと言いだすのは、原子力の専門家としては言語道断、失格であろう。保安院も原子力安全委員会もいったいどういう基準でその長を選んでいたのだろうか?

岩波書店「科学」の1997年の石橋氏の記事

原発震災――破滅を避けるために」(pdf) 石橋克彦, 科学、岩波書店、1997年10月、720-724

この1997年の記事は、2011年の「科学」のVol. 81, No. 7, p. 0708-0712にも再録されている。

この記事は、東海地震が起こった際に浜岡原発で起こりうる過酷事故について述べたものなので、福島第一原発事故と直接比較することは適切ではないかもしれないが、福島第一原発事故を予言するような記述が多々あるとして知られている。たとえば、以下のような記述がある。

津波に関して中部電力は、最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる。

とくに、ある事故とそのバクアップ機能の事故の同時発生、たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない。

冷却水が失われる多くの可能性があり(事故の実績は多い)、炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される。20年前後を経過して老朽化している1,2号機がいちばん心配だが、4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし、どれか1基の大爆発がほかの原子炉の大事故を誘発することも考えられる。その結果、膨大な放射能が外部に噴出される。さらに、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大になるという推測もある。

さらに脚注には『原発だけは将来も安全神話が成り立つという合理的な理由はなにもない』とさえ書いてある。

この記事は当時、静岡県議会で取り上げられ、静岡県から科学技術庁と通商産業省への照会、静岡県原子力対策アドバイザー4人の見解聴取が行われた。これらの静岡県議会資料も2011年の「科学」のVol. 81, No. 7, p. 0713-0722に収録されている。

この資料によると、当時の科学技術庁原子力安全局原子力安全調査室長と資源エネルギー庁公益事業部原子力発電安全企画審査課長は、『地震によって水蒸気爆発や水素爆発が起こることは考えられない』として、石原氏の懸念を退けている。

このことからわかるように、「原子炉は爆発しない」というのは班目委員長の個人的意見ではなく、当時の原子力関係者の統一見解であった可能性も示唆される。

班目春樹アドバイザー

さらに4人のアドバイザーには班目春樹氏も含まれており、

  • なぜこのようなことが起こり得るのか、論拠がわからない。
  • 指摘しているような事象は原子力工学的には起こり得ないと考える。
  • 石橋論文は、地震に関する以外の内容は、石橋氏の専門分野から外れており、論拠がはっきりしない。

などと、石橋氏の主張を全面否定している。

さらに『石橋氏は東海地震については著名な方のようであるが、原子力学会、とくに原子力工学の分野では、聞いたことのない人である』と学会の権威を持ち出して石橋氏をこき下ろしている。しかし事実は、学会よりも石橋氏の予想に近いものであったことは、誰の目にも明らかであろう。

ほかのアドバイザーも班目氏と似たような「学会の権威」を持ち出した反論をしている。(もちろんアドバイザーらはそれ以外にもさまざまな根拠を挙げて反論しているが、ここではとくに取り上げない。原文を参照されたし)

溝上恵アドバイザー

  • 浜岡原子炉食発電所周辺の風、海流、それらの季節・日・時間的変化、海底地形などを含めて工学的に考慮してシミュレーションした上で第一級の津波の専門家が、評価している。目こぼしがあるとは思えない。
  • 石橋論文が、具体的に学会で話題になっているとは聞いていない。

岡田恒男アドバイザー

  • 原発は、地震よりも、普通のときのほうが事故の確率が高いとされている。
  • 石橋論文をどこかの学会が取り上げたとは聞いていない。

(地震よりも普段のほうが危険て、いったいどういう理屈なのだろう?)

小佐古敏荘アドバイザー

  • 石橋論文は、書いてあることが相当本質をつくものであれば関連学会で取り上げられるはずだが、保健物理学会、放射線影響学会、原子力学会で取り上げられたことはない。
  • 学会誌の論文掲載は、通常3名程度の査読員で検証したうえで行っており、論文の論拠を明確にしつつ行うものであるが、岩波書店の「科学」は自由に意見を述べられる、いわゆる雑誌であって、このような形をとる学会誌ではない。
  • 論文掲載にあたって学者は、専門的でない項目には慎重になるのが普通である。石橋論文は、明らかに自らの専門外の事項についても論拠なく言及している。

たしかに、石橋氏の記事の弱点は「査読を受けていない」ということであり、小佐古アドバイザーはその点を的確に突いてきている。しかし、結果として、権威あるはずの学会よりも非専門家の石橋氏の予想のほうが正しかったというのが現実だった。

石橋氏と東海地震説

なお、石橋克彦氏は、東大理学部助手だった1977年2月、地震予知連絡会会報に「東海地方に予想される大地震の再検討 ―駿河湾地震の可能性―」(pdf)というレポートを発表し、これがきっかけで「駿河湾を中心とした地域を、マグニチュード8クラスの巨大地震が明日にも襲うかもしれない」と報道され、「東海地震予知」の発端となった。

しかし、30年以上たった今、まだ東海地震は起こっておらず、(その間、東海地方以外の地域では大規模な地震が起こっている) 地震が起こった後に原発がおちいる危機を的確に指摘した石橋氏でさえ、専門の地震予知には失敗しており、地震予知の難しさを如実に示している。

班目氏の『石橋氏は東海地震については著名な方のようであるが、原子力学会、とくに原子力工学の分野では、聞いたことのない人である』という発言は、石橋氏に対する皮肉だった可能性もあるだろう。石橋氏の主張には「狼少年」的なところがあると思われたため、軽視されてしまったのではなかろうか。