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4chan

4chanは、日本の匿名掲示板「2ちゃんねる」に憧れた当時15歳のクリストファー・プールによって、2003年10月に立ち上げられ、2023年現在の運営者は西村博之(ひろゆき)。「Q drops」の投稿があったのは、2017年の10月から12月まで。その後、Qは突然8chanに居場所を移すが、移動の理由は不明。8chanは、2013年10月にフレドリック・ブレンナンFredrick Brennan)によって開設され、その後、ジム・ワトキンスJim Watkins)が買収し、息子のロン・ワトキンスRon Watkins)が管理していた。2019年8月に8chanは閉鎖され、8kunと名義変更されて2019年11月から再開される。8kunへのQの投稿は2020年の12月まで続いた。

2019年に8chanが閉鎖された直接の理由は、同年8月にテキサス州エルパソのウォルマートで発生したエルパソ銃乱射事件 (2019年)2019 El Paso shooting)の実行犯パトリック・クルシウス(21)が、犯行の20分前に8chanに「マニフェスト」(犯行予告)を投稿していたことである。その結果、コンテンツ配信ネットワークとセキュリティサービス提供のクラウドフレアが、8chanへのサービズ提供を停止した。

さらに、それ以前の2019年3月に起こったクライストチャーチモスク銃乱射事件Christchurch mosque shootings)の実行犯ブレントン・タラント(28)、同年4月のパウウェイ・シナゴーグ銃撃事件(Poway synagogue shooting)の実行犯John Timothy Earnest(19)も、8chanにマニフェストを投稿していたことが問題になった。つまり、8chanはヘイト・クライムの温床になっていたのである。

クラウドフレアがサービスを停止すると、すぐに8chanはDOSアタックを受けダウンした。その直後からワトキンス親子はあらゆる手段を使って8chanを8kunとして再開しようとするが、なかなかうまくいかず結局再開できたのは約3ヶ月後の同年11月からであった。その間、9月5日には米国下院国土安全保障委員会に召喚されて、ジム・ワトキンスは「白人至上主義コンテンツを含む過激コンテンツの拡散」に対処する8chanの取り組みについて証言させられている。また、8chan創設者のフレドリック・ブレンナンが再開阻止の圧力をあちこちにかけたため、セキュリティプロバイダがなかなか見つからなかった。最終的にロシアのウラジオストクにあるMedia Land LLCという(アメリカ愛国者には似つかわしくない)ホスティングサイトで再開することとなる。

8chanがダウンしていた3ヶ月間、Qは他のどこにも投稿せず沈黙していたことから、Qと8chan(ワトキンス親子)には親密な関係があることが示唆され、ワトキンス親子自身がQではないかとも疑われている。ただし、両名ともQであることを否定している。

4chanの運営には、日本の2ちゃんねる創設者の西村博之が関わっているので、日本のマスコミでは4chanと西村氏の関連がよく取り上げられる。

 今世界を騒がせる「Qアノン」も、議事堂襲撃にまで及んだ白人至上主義やネオナチが跋扈する情況も、それを目覚めさせしてしまったのは、実は日本発のある文化が密接に関与している。

 

 それは日本の匿名掲示板カルチャーである。アメリカではそれを「CHANカルチャー」と呼ぶものもいる。

 

 これより、日本の匿名掲示板カルチャーがアメリカにわたり、連邦襲撃事件に至るアメリカの過激主義を培養し、アメリカのパンドラの箱を開いてしまった姿を追って行こうと思う。そしてそれは、言論の自由をめぐる社会実験の失敗の記録でもある。

 

 このアメリカのパンドラの箱の物語の主要な登場人物は2人いる。まずは、元2ちゃんねる管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏。現在アメリカ最大の匿名掲示板のひとつである「4chan」のオーナーである。西村氏が管理する4chanはオルタナ右翼の発祥の地と目されるばかりか、Qアノンが最初に現れた掲示板である。

 

 2人目は、ジム・ワトキンス氏。西村氏とともに2ちゃんねるを運営し、現在はその2ちゃんねる(現「5ちゃんねる」)を乗っ取りオーナーになった男である。いや、それだけではない、アメリカのもっともダークな匿名掲示板「8kun」のオーナーにして、Qアノンの「Q」はこの男ではないかと嫌疑をかけられている男。現在、世界中のジャーナリストと陰謀論研究家は彼の行方を追っている。

 

 なおアメリカで、連邦議事堂襲撃事件のきっかけのひとつとなった「ドミニオン疑惑」といわれる選挙集計機に不正があったとする荒唐無稽に近い陰謀論が最初にメディアに出たのは、ジム氏の息子、札幌在住のロン・ワトキンス氏から始まっている。彼が極右のテレビ番組で、ベネズエラのウーゴ・チャベスなどの共産主義者がかかわっていたドミニオン投票システムにより、不正が行われたともっともらしく主張した。彼はもちろん日本にいるためにドミニオン投票システムの実際の集計機を見たこともない。ネットにあるユーザーガイドを見ただけである。そんなまったく空想の域をでないドミニオン疑惑の陰謀説が広まったのは、ロンが日本からテレビ番組にリモートで出演したのがきっかけなのである。つまりドミニオン疑惑が世に流布されたのは日本からなのである。