9/11独立調査委員会 (911陰謀論)
正確な名称は「同時多発テロ事件に関する独立調査委員会」
(National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States)
別名: 911委員会(9/11 Commission)
911委員会以前にも、アメリカ議会の上下両院合同の911調査委員会が調査を行い、報告書「Congressional Reports」を提出している。しかし、この調査は不十分だったとして、犠牲者の遺族が作った組織による働きかけで、911独立調査委員会が設立された。
911委員会の調査を監視する遺族団体としては、「9/11 Family Steering Committee」がある。この団体は、世界貿易センターでの12人の犠牲者の親族からなる組織で、ジャージーガールズ(Jersey Girls)もそのメンバーであった。このCommitteeは、2005年1月11日に活動を終止している。
ジャージーガールズは911委員会の報告書にも批判的であり、その後も911真相究明運動の活動を続けている。しかし、ツインタワーやWTC7に関するNISTの最終報告書が提出された後、陰謀論を支持する遺族はほとんどいなくなった。(グリフィン博士の項目も参照)
「9/11委員会レポート ダイジェスト」の監修・翻訳を務めた松本利秋氏は、この本の「おわりに」で次のように述べている。
実はこの報告書に記述されているテロリストたちの詳細な動向は、すべてこれら情報機関がつかんでいた情報を再編成したもので、当時、それらは断片的な情報として処理され、これほどの事態に繋がるとは誰も思わなかったのである。これらの情報をつかんでいたなら、当然事前にふせぐことができただろうと誰しも思うところであろう。
それらの事柄から、この報告書を読むと、「アメリカ政府は事前にこれを知っており、石油利権獲得のためにイラク攻撃をしたくて9・11のテロ攻撃を黙認した」という仮定を基調とする陰謀説がでるのもむべなるかなという感がある。
911委員会に批判的なニューヨークタイムズ紙のPhilip Shenon氏の著書「The Commission」(文献5)でも、911委員会の最終報告書の問題点をいろいろ取り上げているが、陰謀論はまるっきり相手にしていない。
911テロ事件は明らかにアメリカ政府の大失策であり、関係者の中には責任追及を明確にされたら困る人物もいるだろう。911委員会の最終報告書も完璧でなくて当然である。どこまでが疑惑で、どこからが妄想かよく考える必要がある。
委員会のメンバー
- Thomas H. Kean(委員長)
- Lee H. Hamilton(副委員長)
- Richard Ben-Veniste
- Fred F. Fielding
- Jamie S. Gorelick
- Slade Gorton
- Bob Kerrey: Max Clelandの代わりに委員に就任。
- John F. Lehman
- Timothy J. Roemer
- James R. Thompson
- Joseph Maxwell Cleland: 911委員会の最初のメンバーだったが、途中で委員を辞退している。委員の中ではもっともブッシュ政権に批判的であった。ブッシュ政権は911テロに関する失策を隠蔽しようとしていると主張し、911委員会には当時圧倒的な国民の支持を得ていたブッシュ大統領と敵対するだけの度胸がなかったと批判している。
最終報告書、その他
- 「About the Commission」 911委員会のアーカイブ
- 「9-11 Commission Report」: 911委員会の最終報告書
- 「Staff Monographs」 911委員会のスタッフ・モノグラフ
- 「Frequently Asked Questions About the 9-11 Commission」 911委員会についてのFAQ
- 「9-11 Commission Report」: 911委員会の最終報告書
- 「9/11委員会レポート ダイジェスト」:その日本語訳ダイジェスト版
- 「9/11 Commission Records」(The National Archives) 911委員会が集めた資料を公開しているサイト
- 「Congressional Reports」 Joint Inquiry into Intelligence Community Activities before and after the Terrorist Attacks of September 11, 2001:911委員会設立以前に設立された、アメリカ議会の上下両院合同の911調査委員会の報告書。
- 「911 commission」 David Coleman Photoの911委員会の写真
関連文献
- 「Without Precedent」(文献2) 911委員会の委員長と副委員長だったThomas H. KeanとLee H. Hamiltonの著書
- 「The Commission」(文献5) ニューヨークタイムズ紙の記者が書いた911委員会に批判的な著書
- 「Against All Enemies」 by Richard Clarke、Free Press (September 14, 2004) : ホワイトハウスの対テロリズム・チーフアドバイザー:リチャード・クラーク(Richard Clarke)の回顧録。邦訳としては「爆弾証言 すべての敵に向かって」(徳間書店、2004/6/5)がある。
経緯
2002年11月27日:ブッシュ大統領が911委員会を認可。ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)とジョージ・ミッチェル(George Mitchell)がそれぞれ委員長と副委員長に任命される。
2002年12月11日:ミッチェルが辞任し、リー・ハミルトン(Lee H. Hamilton)が副委員長に就任。
2002年12月13日:キッシンジャーも辞任。辞任を表明する前日、キッシンジャー氏は、自身が経営するコンサルタント会社のオフィスで、911テロ事件の遺族と会見している。その席で、ジャージー・ガールズのLorie Van Aukenに「あなたの顧客の中に、サウジアラビア人はいますか?ビン・ラディンという名の顧客はいませんか?」との質問をされている。(文献5)
2002年12月16日:トーマス・キーン(Thomas H. Kean)が委員長に就任。
2003年1月31日:ワシントンD.C.のダウンタウンにオフィスを開設。ここはCIAが提供した、40人程度が「トップ・シークレット」の機密文書を閲覧できる施設「Sensitive Compartmented Information Facility」(SCIF)であった。
2003年3月28日:911委員会の予算が1400万ドルへ増額決定。(最終的な予算は1500万ドル)
2003年4月16日:10人の委員全員の機密文書閲覧許可が認められる。
2003年10月15日:FAA(連邦航空局)に対して召喚状を発行。
2003年11月6日:DOD(国防総省)に対して召喚状を発行。
2003年11月19日:ニューヨーク市に対して召喚状を発行。
2004年2月4日:ホワイトハウスが911委員会の最終報告書の期日延長に同意。
2004年3月24日:ホワイトハウスの対テロリズム・チーフアドバイザー:リチャード・クラーク(Richard Clarke)が第8回公聴会で証言。(動画:Windows Media)
2004年4月8日:第9回公聴会でコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)が宣誓供述。(動画:Windows Media) 911委員会はクリントン元大統領を事情聴取。
2004年4月9日:ゴア元副大統領に事情聴取。
2004年4月10日:2001年8月6日付の大統領日例報告(PDB)「Bin Ladin Determined To Strike in US」の機密解除。
2004年4月29日:911委員会、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領に事情聴取
2004年7月22日:最終報告書発表
2004年8月21日:911委員会閉鎖
宣誓供述について
911委員会報告書の「Appendix C」(pdfファイル)で、公聴会で証言した人物のリストを見ることができる。その証言内容は、「Public hearings of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States」で見ることができる。
多くの人が宣誓供述(testified under oath)しており、以下に示すような重要人物もその中に含まれている。特に2004年の証人はすべて宣誓供述している。
第8回公聴会(March 23-24, 2004)
・Colin L. Powell(コリン・パウエル):国務長官
・Donald H. Rumsfeld(ドナルド・ラムズフェルド):国防長官
・George J.Tenet(ジョージ・J・テネット):中央情報長官
第9回公聴会(April 8, 2004)
・Condoleezza Rice(コンドリーザ・ライス):国家安全保障問題担当大統領補佐官
第10回公聴会(April 13-14, 2004)
・George J.Tenet(ジョージ・J・テネット):中央情報長官
・Robert S. Mueller III:FBI長官
大統領の証言
911委員会は、2004年4月8日にクリントン元大統領、4月9日にゴア元副大統領、4月29日にはブッシュ大統領とチェイニー副大統領にインタビューを行っているが、これらは宣誓供述ではない。通常、犯罪行為や訴訟に関する証言以外の場合、大統領が宣誓供述することはない。たとえば、イラン・コントラ事件の際のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)や、リチャード・ニクソン(Richard M. Nixon)を恩赦した際のジェラルド・フォード(Gerald R. Ford)は宣誓供述していない。これに対し、ビル・クリントン(Bill Clinton)は、ホワイトウォーター疑惑(Whitewater controversy)の際や、Paula Jonesにセクハラで訴えられたときには宣誓供述している。(文献6)
議会の調査委員会に対して大統領が宣誓供述しないのは、「権力分立」の考えに基づいている。(文献7) 通常、政府高官も宣誓供述することはなく、国家安全保障問題担当大統領補佐官だったコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)の公聴会での宣誓供述は異例のことであった。
911委員会に対する批判
911委員会に対する批判については、まずウィキペディアの「Criticism of the 9/11 Commission」(文献1)を参照。さらに、「The Commission」(文献5)も参照。
2003年3月31日の最初の公聴会で、911委員会は、「なぜ911テロ事件は起こってしまったのか、今後のテロはどうやったら防げるのか」ということを追求するが、「個人の責任追及(point fingers)はしない」という方針を発表したため、遺族らの強い反発を招いた。
また、911委員会の最終報告書は、ブッシュ大統領の再選がかかった2004年の大統領選挙戦の最中に発表された。そのため、激しい政治的駆け引きがあった。911同時多発テロ事件が起こったのは、8年間続いたクリントン政権が終わり、ブッシュ政権が始まって、わずか8ヶ月後のことである。
テロ直前にその対策を立てられなかった責任は当然ブッシュ政権にあるだろうが、ビン・ラディンとアル・カーイダの存在は1990年代半ばから知られていた。クリントン政権は、911以前のアル・カーイダによるテロ攻撃に対して、なんら有効な反撃を加えることができなかった。よって、911委員会の調査に対して、共和党と民主党は互いに責任をなすりつけ合う形となった。
もともと911委員会は、共和党と民主党それぞれ5人づつの委員から成るので、両者の間で睨み合いとなり、結局譲歩してしまったため、両政権の責任追及を十分に行っていないという批判がある。
捕虜の拷問
2008年2月、CIA長官のMichael V. Haydenがアル・カーイダ幹部3人(Khalid Sheikh Mohammed, Abu Zubaydah, Abd al-Rahim al-Nashiri)を含む捕虜の尋問の際、「水責め」(waterboarding)などの拷問をCIAが行っていたことを認めた。拷問は人道的に許されない行為であり、裁判では証拠として採用されない。911委員会の最終報告書では、捕虜の証言が証拠として採用されており、1700あるフットノートのうち、441が捕虜の証言に基づいている。
拷問による証言は証拠としての信憑性が低い。なぜなら、苦痛から逃れるため被拷問者は、あることないことなんでも尋問者の言う通りにしゃべる可能性があるからだ。よって、911委員会の最終報告書のうち、アル・カーイダ内部に関する情報について、事実とは異なる部分がある可能性がでてきた。911委員会には捕虜との直接の面会は許されておらず、その証言がどのようにして得られたか把握していない。
- 「水責めだけじゃないCIAの拷問法」 2014年12月11日(木)16時49分, テイラー・ウォーフォード, ニューズウィーク日本版
CIAが用いた残酷なテクニックの代表格が水責めだ。傾斜した板に足を上にして容疑者を固定し、鼻と口に水を注ぎ続けて溺死寸前の状態に追い込む。CIA内部ではイニシャルのKSMで通っていたアルカイダの大物幹部ハリド・シェイク・モハメドには、水責めによる尋問が15セッション行われた(1回のセッションで繰り返し水責めに遭わされる)。
睡眠を奪うこともCIAの常套手段だ。テロ容疑者は「最高180時間、通常は立ったままか、苦痛を伴う姿勢で、ときには両手を縛って頭上に上げさせたまま」一睡もできなかったと、報告書は述べている。「長期間睡眠を奪われた被収容者のうち、少なくとも5人が幻覚に苦しむようになったが、そのうち少なくとも2人に対して、この処置が続行された」
顔に平手打ちをくらわせる、全裸にする、壁にぶつけるなどの手法が多くの場合、複数同時に用いられていた。数人の尋問者が容疑者を取り巻き、「母親を連れてきて、目の前で性的に虐待してやろうか」とすごむこともあったという。
報告書は「荒っぽい連行」と呼ばれていた手法も伝えている。「5人ほどの捜査官が収容者に向かって怒鳴り散らし、独房から引きずりだして、衣服を切り裂き、絶縁テープで縛って体の自由を奪い、フードを被せ、長い廊下を延々と引き回しながら、平手打ちやパンチをくらわせる」というものだ。
食事と水分を摂ることを拒否した容疑者には「直腸から」の水分と栄養補給が強制された。ある容疑者は「無理やり直腸からボトル2本分の栄養ドリンクを注入され、その後同じ日に『ランチ・トレー』と称して、ヒヨコマメとゴマのペースト、ソースを絡めたパスタ、ナッツ、干しぶどうを『ビューレ状』にしたものを直腸に注入された」という。
- 「CIA admit 'waterboarding' al-Qaida suspects」 Mark Tran and agencies guardian.co.uk, Tuesday 5 February 2008 18.51 GMT
- 「CIA chief confirms use of waterboarding on 3 terror detainees」 Jurist, Tuesday, February 05, 2008
- 「CIA尋問ビデオ隠し、同時多発テロ調査も妨害か」 AFP BB News, 2007年12月23日 18:45 発信地:ワシントンD.C./米国
- 「C.I.A. Destroyed 2 Tapes Showing Interrogations」 By MARK MAZZETTI, New York Times, Published: December 7, 2007
- 「Secret U.S. Endorsement of Severe Interrogations」 By SCOTT SHANE, DAVID JOHNSTON and JAMES RISEN, The New York Times, Published: October 4, 2007
- 「George Bush admits US waterboarded 9/11 mastermind」 Paul Owen and agencies guardian.co.uk, Thursday 3 June 2010 07.36 BST
サウジの関与
アメリカに潜入したテロリストを、サウジアラビア(Saudi Arabia)の諜報機関が支援していたのではないか、という疑惑があるが、911委員会はこの疑惑をきちんと追求していない。(文献5)
911テロ事件のハイジャック犯Nawaf al-HazmiとKhalid al-Mihdharはアメリカに潜入したさい、Omar al-Bayoumiという男の支援を受けているが、al-Bayoumi氏はサウジ政府の潜入諜報員である可能性がある。al-Bayoumi氏はロサンゼルス付近のアラブ料理店で二人のテロリストと偶然出会ったと主張している。その後、英語をほとんど話せない二人にアパートを紹介したり、銀行口座を開いたり、いろいろと世話を焼いている。
al-Bayoumi氏はサウジ政府に関連する航空会社に勤めており、2800ドルの月給をもらっていた。しかし、氏は1996年からサンディエゴに住んでおり、サンディエゴ郊外のEl Cajonのモスクでもっぱら一日を過ごし、明らかにその会社の仕事をしていなかった。al-Bayoumi氏はOsama Bassanというサウジアラビア人からも金銭的援助を受けていたが、その金の出所はワシントン駐在サウジ大使の妻、Haifa al-Faisal王女であった。
アメリカとサウジアラビアは表向きは友好国ということになっているが、イスラム教国であるサウジには、アメリカの政策に不満を抱き、過激なイスラム原理主義に同調する者もいたということのようだ。しかし、アメリカとサウジの友好関係を保つため、911委員会はこの件に関して十分な追及を行っていないとの疑惑が持たれている。
- 米同時テロ「サウジが支援の証拠なし」 報告書、新たに開示 2016/7/16 10:58、日本経済新聞
テロ実行犯19人のうち15人はサウジ国籍だった。報告書は当時のブッシュ政権が「安全保障にかかわる」として一部の公表を拒んだ。サウジ政府は無用な疑いを招くとして、03年から非公開部分の開示を求めてきた。米メディアによると、在米サウジ大使館は今回の文書公開で「長年の懸念や疑いが晴れたと期待している」と表明した。
同時テロの遺族らはサウジ政府を連邦裁判所に提訴したが、従来は外国政府の免責特権を理由に審理されなかった。ただ今春に米議会は遺族がサウジ提訴を可能にする法案を審議。サウジ側は法案が成立すれば保有する米国債など7500億ドル(約79兆円)を売却すると警告していた。
- 米同時多発テロ報告書、サウジ関連のページが公開 2016.07.16 Sat posted at 15:26 JST、cnn.co.jp
この文書によると、9月11日のテロを起こしたハイジャック犯の一部は、サウジ政府とつながっている可能性がある複数の人物と連絡を取り、こうした人物の支援を受けていたという。
また、米国内のサウジ政府当局者が国際テロ組織アルカイダなど複数のテロ組織と別のつながりも持っていた可能性を示唆する情報も入手したとしている。ただ、この情報の多くが臆測にとどまっており、独自に確認できていないと認めている。
情報筋は以前CNNに対して、文書の内容を検証した国務省などは「最小限の編集」しか加えず公開することを承認したと述べていたが、実際には多くの黒塗りの箇所があった。
それでも、同時多発テロ被害者による外国政府の訴追を支援してきた議員らは文書の公開を歓迎した。ニューヨーク州選出のチャールズ・シューマー上院議員は「テロにサウジが関与していた可能性を示しているように読める」と語った。
サウジのアブドラ・サウド駐米大使は15日、同文書の公表を受け、これを歓迎する意向を表明。「CIAやFBI(連邦捜査局)を含む複数の政府機関が『28ページ』の内容を調査した結果、サウジ政府やその高官、サウジを代表するいかなる人物も、こうした攻撃に対する支援や奨励を一切行っていないことが確認された」と述べた。
そのうえで今回の公開により、サウジの行動や意図などをめぐり米国内で残る疑念や疑いが一掃されることを望むと述べた。
米国家情報長官室は、今回の文書の公開について、米情報機関による報告書の正確性や情報への同意を示すものではないと注意を促した。
ブッシュ政権
ブッシュ政権は以下のような2つの失策を犯したが、911委員会の追及の矛先をそらすため、さまざまな圧力をかけたと考えられている。
- 911テロ事件前に、ブッシュ政権はテロ対策を重要課題としておらず、アル・カーイダの脅威を過小評価していた。
- 911テロ事件後は、イラク戦争開戦の口実の1つとして、フセイン大統領(Saddam Hussein)がアル・カーイダと協力関係にあったことを挙げている。しかし、911委員会の調査は、アル・カーイダとイラクの間に明確な協力関係はなかったことを示している。(むしろ、イランとの繋がりがあった) もちろん、開戦のもう1つの口実である大量破壊兵器もイラクでは見つかっていない。
テロ警戒レベルを大統領選挙に利用?
ブッシュ政権下で初代国土安全保障省(Department of Homeland Security)長官を務めたトム・リッジ(Tom Ridge)氏は回顧録「The Test of Our Times」(Thomas Dunne Books, 2009/09)の中で、2004年11月の米大統領選前にブッシュ政権高官ら(ラムズフェルド国防長官とアシュクロフト司法長官)から、テロ警戒レベルを5段階で3番目の「黄色」から4番目の「オレンジ」に引き上げるよう圧力を受けたとしている。(文献9、10)
警戒レベルが引き上げられると「テロとの戦い」を政策にかかげるブッシュ大統領の支持率が上がりやすく、これは選挙に向けた情報操作である可能性がある。リッジ氏は「テロ計画を示す具体的な情報がない」として、こうした要望を拒否したと述べている。
この騒動の流れをCNN, Plitical TickerのTom Ridgeのカテゴリで見ることができるが、ブッシュ政権下で国土安全保障問題担当の大統領補佐官だったフラン・タウンゼント(Fran Townsend)氏は、リッジ氏のこうした主張は個人的な感情に基づくもので、警戒レベルに政治が関与したことはないと否定している。
リチャード・クラーク
ホワイトハウスの対テロリズム・チーフアドバイザーのリチャード・クラーク(Richard Clarke)は、米国政府内で最初にウサマ・ビン・ラディンの脅威に気付いた人物のひとりであり、CIAやその他の諜報分析機関がもたらすテロに対する警告を、ブッシュ政権(特にコンドリーザ・ライス)が幾度となく無視したことに批判的であった。彼は、ブッシュ政権は911テロ以前にはアル・カーイダに対してなにもせず、テロ後はサダム・フセインと911テロをなんとか結び付けて、イラク侵攻を正当化しようとしたと批判した。
2004年3月の第8回公聴会での宣誓供述では、米政府高官として初めて国民に謝罪した。その証言の様子を(動画:Windows Media)で見ることができる。クラークの冒頭陳述は以下のようなものであった。
私の冒頭陳述はとても短いものです。私はこうした公聴会の開催を歓迎します。なぜなら、アメリカの人々に、9/11の悲劇がなぜ起こってしまったのか、また、その再現を防ぐにはどうしたらいいか、よりよくわかってもらえる機会が与えられたからです。また、やっと公共の場で9/11の犠牲者の遺族に謝罪することができるので、こうした公聴会を喜んで受け入れます。この部屋にいる人々やこれをテレビで見ている皆さん、あなた方の政府は失敗してしまいました。あなた方を守ることを任せられた者たちは失敗を犯しました。そして、私も失敗しました。我々は努力を惜しまなかった。しかし、それはどうでもいいことです。なぜなら、我々は失敗したからです。そして、この失敗について、すべての事実が明らかになったときには、あなた方の理解とお許しを望みます。これにて、議長、質問に喜んでお答えしたいと思います。
クラークの証言により、ブッシュ政権はコンドリーザ・ライスにも公聴会での宣誓供述を余儀なくさせられる。動画:Windows Mediaでその様子を見ることができる。クラークの2分程度の短い冒頭陳述とは対照的に、ライスは25分間も陳述を行い、謝る理由がないとして遺族への謝罪も行わなかった。同じ日の午後に911委員会はクリントン元大統領と面会することになっていたので、証言を引き延ばし、時間切れを狙う作戦に出たことがわかる。
なお、この日の供述でライスは2001年8月6日のPDBの題名が「ビン・ラディンが米国内で攻撃を決意」であることを初めて明らかにした。ところが、その内容はおもに「過去の情報」(historical information)であり、2001年の夏にあった警告の多くは海外での攻撃に関するものであったとしている。(文献11) 旅客機を自爆攻撃に使うというような具体的な警告はなかったとライスは証言しているが、テロ攻撃の可能性が高まっているという情報は、実際には2001年の夏には十分あった。
クラークは公聴会で証言する直前の3月21日にCBSの「60 Minutes」に出演し、翌22日には「Against All Enemies」が出版された。この著書の中で、クラークはブッシュ政権にきわめて批判的であり、以下の2点を指摘している。
- 911テロ前、ブッシュ政権はイスラム原理主義者のテロ組織の危険性をまったく理解していなかった。まだ冷戦時代の考え方を引きずっており、ロシアとの核兵器廃棄交渉等のほうが重要だと考えていた。特にライスは国家安全保障会議 (NSC)を外交政策の調整機関とみなし、国内におけるテロ対策等は管轄外だと考えていた。
- 2003年のイラク侵攻決定は間違っていたうえに大きな犠牲をともなった。イラクに兵員が大量に動員されたため、アフガニスタンにおけるアル・カーイダ殲滅の機会が失われた。また、正当な理由もなしにアラブの産油国に侵攻したため、イスラム世界のアメリカに対する憎悪を高め、新世代のテロリストを生み出すことになるだろう。本土におけるテロ対策の資金も削られた。ブッシュの「味方でないものは敵だ」という考え方は単純すぎる。
クラークの証言に対抗するためホワイトハウスは、2002年8月に匿名のブリーフィングを記者に対して行った政府高官がクラークだったことを公表した。このブリーフィングで、クラークはブッシュ政権を擁護するため、9/11テロ当時ブッシュ政権はアル・カーイダ殲滅のための新しいテロ対策を検討中だった、と述べた。
つまり、以前クラークはブッシュ政権を擁護していたのに、公聴会の時点では逆に批判しているので、どちらかでウソをついていたことになりかねない。公聴会では911委員のJim Thompsonに「2002年のブリーフィングの内容はウソだったのか?」と聞かれ、クラークは以下のように答えて対抗した。
私は政権の行ったことのポジティブな面を強調するよう要請され、政権の行ったネガティブな面を矮小化するよう要請された。大統領の特別補佐官をやっていると、こうした要請はしょっちゅうある。私は複数の大統領のためにも同様なことをやってきた。
KSMの裁判
2009年、オバマ政権はハリード・シェイク・モハンメッド(Khalid Sheik Mohammed, KSM)とその他の911同時多発テロの共謀者を、軍事法廷ではなく、ニューヨークの裁判所で裁くことを決定した。
- 「Some Fear Bush Administration Could Become Target in 9/11 Trial」 by FOXNews.com, Updated November 14, 2009
ところが、上記の記事は、KSMやその他の容疑者は尋問の際に拷問を受けているので、場合によってはブッシュ元政権が攻撃にさらされる可能性を指摘している。元ニューヨーク市長のルディ・ジュリアーニは以下のように述べている。
政府はハリード・シェイク・モハンメッドを裁判にかけようとしているが、彼の弁護士は政府を裁判にかけようとするかもしれない。
米国司法省によると、CIAはKSMに水攻めを183回行っている。オバマ政権はこうした拷問を違法とみなしているので、拷問を実行したCIA職員やそれを命じた元政権の有力者が起訴される可能性もある。
Philip Zelikow
- 「Philip D. Zelikow」 Wikipedia, the free encyclopedia
Jamie Goreick
- 「Jamie Gorelick」 Wikipedia, the free encyclopedia
クリントン政権
クリントン政権時代にアル・カーイダとビン・ラディンはアメリカに対し、すでにテロ攻撃をしかけている。
1998年8月7日、ケニアのナイロビの米大使館で爆破テロがあり、213人が殺害され、数千人が負傷した。飛散したガラスにより視力を奪われた被害者は150人以上に上る。(文献12) その9分後、タンザニアのDar es Salaamの米大使館でも爆破があり、11人が殺され、85人が負傷した。
- 「1998 United States embassy bombings」 From Wikipedia, the free encyclopedia
この爆破テロに対する報復として、クリントン政権は8月20日にアフガニスタンとスーダンに巡航ミサイルによる攻撃を行っている。標的はアフガニスタンのKohtの近くで開かれるイスラムテロリストの会合と、VXガスを製造していると考えられるスーダンの化学工場だった。
- 「Cruise missile strikes on Afghanistan and Sudan (August 1998)」 From Wikipedia, the free encyclopedia
アフガニスタンの標的には75機のトマホークミサイルが撃ち込まれ、20人以上が死亡したがビン・ラディンは無事だった。スーダンの化学工場にも13機のトマホークが撃ち込まれ、夜警員が一人死亡した。その後、ここは化学兵器製造工場ではないことが判明する。(文献13)
また、当時クリントン大統領はモニカ・ルインスキー(Monica Lewinsky)とのセックススキャンダル(Lewinsky scandal)に巻き込まれており、この件について8月17日には宣誓供述している。このため、映画「Wag the Dog」のように、20日のミサイル攻撃はスキャンダルから目をそらすためのものだったと批判されてしまう。
さらに、2000年10月12日には米海軍のミサイル駆逐艦「コール」(USS Cole (DDG-67))がイエメンのアデン港で自爆テロ攻撃を受け大破し、17人の水兵が死亡した。しかし、1998年のミサイル攻撃で失敗しているクリントン政権は及び腰になり、アル・カーイダになんら有効な反撃を加えることができなかった。
- 「米艦コール襲撃事件」 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 「USS Cole bombing」 From Wikipedia, the free encyclopedia
Sandy Berger
- 「Sandy Berger」 Wikipedia, the free encyclopedia
FBIとCIA
Able Danger
- 「Able Danger」 Wikipedia, the free encyclopedia
NORADとFAA
NORADとFAAを参照。
参考文献とリンク
- 「Criticism of the 9/11 Commission」 From Wikipedia, the free encyclopedia
- 「Without Precedent」 by Thomas H. Kean、Lee H. Hamilton、Vintage (April 24, 2007) 9/11独立調査委員会の委員長と副委員長による著書
- 「9-11 Commission Report」:911委員会の最終報告書
- 「9/11委員会レポート ダイジェスト」:同時多発テロに関する独立調査委員会 (著), 松本利秋 (翻訳), ステファン丹沢 (翻訳), 永田喜文 (翻訳)、WAVE出版 (2008/5/22)
- 「The Commission」 by Philip Shenon, Twelve (January 31, 2008)
- 「THREATS AND RESPONSES: LEGAL CONDITIONS; Private Testimony Isn't Usually Under Oath」 By DAVID E. ROSENBAUM, The New York Times, Published: Friday, April 30, 2004
- 「I. THE CONSTITUTIONAL SEPARATION OF POWERS BETWEEN THE PRESIDENT AND CONGRESS」 May 7, 1996, MEMORANDUM FOR THE GENERAL COUNSELS OF THE FEDERAL GOVERNMENT
- 「9/11: TRUTH, LIES AND CONSPIRACY INTERVIEW: LEE HAMILTON」 CBC News: Sunday's Evan Solomon interviews Lee Hamilton, August 21, 2006
- 「米大統領選前、テロ警戒引き上げに圧力 初代国土安全保障長官が暴露」 2009年08月23日 23:45 発信地:ワシントンD.C./米国、AFP BB News
- 「ブッシュ政権高官、大統領選直前の政権内部の駆け引きを暴露」 2009.08.21 Web posted at: 20:42 JST Updated - CNN
- 「White House releases bin Laden memo」 CNN.com, Wednesday, May 19, 2004 Posted: 0422 GMT (1222 HKT)
- 「The Looming Tower」 by Lawrence Wright、Knopf (August 8, 2006) 、「倒壊する巨塔<上><下>―アルカイダと「9・11」への道」(平賀 秀明:翻訳、白水社 (2009/08) )として邦訳されている。
- 「The Ground Truth: The Untold Story of America Under Attack on 9/11」 by John Farmer, Riverhead Hardcover (September 8, 2009)